日本大百科全書(ニッポニカ) 「モロ」の意味・わかりやすい解説
モロ(フィリピンのイスラム教徒)
もろ
Moro
フィリピンのムスリム︵イスラム教徒︶をさす呼び名だが、蔑称(べっしょう)として用いられてきたので、好ましい呼称ではない。彼ら自身による適切な自称は決まっておらず、現状では便宜的に﹁フィリピンのムスリム﹂とよばれることが多い。﹁モロ﹂とは単一の民族からなるのではなく、13の先住民族言語集団から構成されるムスリム集団といえる。フィリピン共和国のムスリム人口は、総人口7190万人︵1996︶の6~8%ほどとみられる。このうち、マラナオ、マギンダナオ、タウスグ、サマの4民族でムスリム人口の9割以上を占め、ミンダナオ島南西部やスル諸島、パラワン島南部に集中して居住する。
もともと﹁モロ﹂という呼称は、8~15世紀末まで約800年間イベリア半島を支配したイスラム教徒を、スペイン人が﹁モーロ﹂とよんだことに由来する。その後16世紀後半からフィリピン諸島を植民地化したスペインは、最後まで抵抗した同諸島のムスリムたちをも、敵意と憎悪をこめて﹁モロ﹂とよんだのである。
﹇赤嶺 淳﹈
近況
民族運動の高まりを受けて1960年代後半以降、ムスリムの民族組織のなかには﹁モロ﹂を自称し民族概念として用いる動きも出てきた。タウスグ出身のヌル・ミスアリは、ムスリム諸地域のフィリピンからの分離独立を主張し、モロ民族解放戦線︵MNLF︶を結成。72年9月の戒厳令発布を契機に武力闘争を開始した。76年MNLFは当時のマルコス政権と南部13州︵2000年現在14州︶をムスリム自治区とするトリポリ協定を結ぶ。アキノ政権下の90年、南ラナオ州、マギンダナオ州、スル州、タウィタウィ州の4州でムスリム・ミンダナオ自治区が発足。続くラモス政権下の96年9月、MNLFとフィリピン政府との間に和平が成立、暫定的行政機関として南部フィリピン和平開発評議会︵SPCPD︶が設置され、議長にミスアリが就任した。しかし、モロ・イスラム解放戦線︵MILF︶やアブサヤフAbu Sayyafなど、MNLF以外のムスリム勢力がMNLF主導の自治政府構想に否定的な態度をとっている。MILFは、1970年代後半にミスアリと袂(たもと)を分かつたマギンダナオ出身のハシム・サラマトが、1980年代なかばに組織した。アブサヤフは、シリアとリビアに留学経験をもつジャンジャラニがイスラム原理主義を掲げて結成、90年代以降のテロ活動と誘拐・強盗が目だつ。
﹇赤嶺 淳﹈
﹃鶴見良行著﹃マングローブの沼地で﹄︵1994・朝日新聞社︶﹄
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