精選版 日本国語大辞典 「五条」の意味・読み・例文・類語 ご‐じょう‥デウ【五条】 (一)[1] 〘 名詞 〙 (一)① 五つの線。五つの筋。 (二)② 五つの項目。五か条。 (三)③ ﹁ごじょう︵五条︶の袈裟(けさ)﹂の略。 (一)[初出の実例]﹁諸律中五条皆一長一短也﹂(出典‥参天台五台山記︵1072‐73︶二) (二)[2] (一)[ 一 ] ( 五條 ) 奈良県中西部の地名。吉野川の下流域にある河港。古来紀伊、大和、伊勢を結ぶ交通の要地にあたり、江戸時代は幕府直轄領となり、代官所が置かれた。吉野川流域の木材集散地として発展。天誅(てんちゅう)組の挙兵地としても知られ、栄山寺がある。昭和三二年︵一九五七︶市制。 (二)[ 二 ] 京都市の市街中央部を東西に走る街路、五条通りの略。また、五条通りに沿う地帯の通称。 (一)[初出の実例]﹁むかし、東の五条に大后の宮おはしましける、西の対に住む人有りけり﹂(出典‥伊勢物語︵10C前︶四) ごじょうゴデウ︻五条︼ (一)[ 一 ] 家名︵姓氏︶の一つ。菅原氏高辻流の庶流で、高辻為長の二男高長を祖とし、鎌倉中期に成立した公家。高長━長経の後、長経の二男茂長は再び分かれ、東坊城を名のる。紀伝道の家。江戸時代には家祿一七一石。相撲の司家としても知られる。五条氏。 (二)[ 二 ] 姓氏の一つ。清原氏の一流で、鎌倉末期、亀山天皇などの侍読、大外記などを歴任した良枝の二男頼元が、南北朝の動乱に際して、懐良親王に従って九州に下向し、この頼元を祖とする。頼元は、筑前三奈木荘で没するが、その孫良遠らは同荘や筑後河崎荘矢部・大淵などを基盤に南朝方について転戦。室町期には肥後の菊池氏につき、戦国期には豊後大友氏に属す。江戸時代には柳川藩に仕えた。五条氏。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「五条」の意味・わかりやすい解説 五条[市] (ごじょう) 目次 大塔 五条 西吉野 奈良県中西部の市。2005年9月旧五条市が大塔︵おおとう︶村と西吉野︵にしよしの︶村を編入して成立した。人口3万4460︵2010︶。 大塔 五条市南部の旧村。旧吉野郡所属。人口812︵2000︶。吉野山系に連なる大峰山脈の西部に位置する急峻な山岳地域で,熊野川水系の十津川が南流する。南朝にゆかりの深い地域で,村名も1889年の舟川郷4ヵ村と十二村郷14ヵ村の合併の際,大塔宮にちなんでつけられた。ほぼ全域が杉,ヒノキの山林におおわれ,奥吉野の秘境の一つであったが,十津川沿いに国道168号線が整備され,交通が便利になった。基幹産業は林業であり,林産物としてはかつての樽丸から近年はみがき丸太へと移行している。また1963年ころからの若年労働者流出により,林業労働者の高齢化が進んでいる。 執筆者‥松原 宏 五条 五条市北西部の旧市。西は和歌山県,大阪府と接する。1957年五条町,野原町と大阿太︵おおあだ︶,南阿太,宇智,北宇智,牧野,阪合部の6村が合体,市制。59年には南宇智村を編入して旧宇智郡全域を市域とした。人口3万5205︵2000︶。北部は金剛山地,南部は吉野山地で,その中央部を吉野川︵紀ノ川︶が西流し,両岸には4~5段にわたる河岸段丘が見られる。この段丘上に載る旧五条町は古くから四方に交通路が通じる要衝の地で,街道町として発達した。また18世紀末に幕府の代官所が,明治に入って郡役所が置かれるなど,この地方の政治の中心としても発達し,その商圏は十津川︵新宮川︶流域に及んだ。吉野川のいかだ流しによる木材の集散地であった五条では製材業や割りばしの生産が盛んで,後背山地では富有柿の特産がある。吉野川の音無淵右岸の栄山寺には国宝の八角円堂があり,市中には天誅組挙兵の際に本陣となった桜井寺がある。JR和歌山線が通る。 執筆者‥橋本 征治 西吉野 五条市中部の旧村。旧吉野郡所属。人口3911︵2000︶。紀伊山地の北端,吉野川支流の丹生川上流域にあたり,村域は1000m級の山々からなる南部と300~400mの丘陵からなる北部とに二分される。北部の緩斜面での果樹栽培が盛んで,特に富有柿は有名。林業地帯は南部の山地に広がり,近年はみがき丸太などの生産が盛んである。村内に吉野第1発電所があり,賀名生︵あのう︶は南北朝期には南朝方の拠点であり,梅の名所としても名高い。春日神社本殿,西田家住宅,堀家住宅は重要文化財。 執筆者‥松原 宏 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本歴史地名大系 「五条」の解説 五条ごじよう 北海道:空知支庁岩見沢市五条[現在地名]岩見沢市五条西(ごじようにし)・五条東(ごじようひがし) 昭和二九年︵一九五四︶当時、西は一五丁目、東は六丁目まであった。同三一年発行の岩見沢市街案内地図などによると、西一丁目は早くからの商店街で、同二丁目には日本劇場︵閉場︶、同三丁目に岩見沢卸売市場︵現在大和四条に移転︶、ナカノタナ百貨店、同四丁目に五条市場︵廃業︶、浄土真宗本願寺派願(がん)王(のう)寺、同六丁目に空知支庁・教育委員会事務所︵現在八条西に移転︶がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報