デジタル大辞泉 「元和」の意味・読み・例文・類語 げんな〔ゲンワ〕【元和】 《「げんわ」の連声れんじょう》江戸初期、後水尾ごみずのお天皇の時の年号。1615年7月13日~1624年2月30日。 げんわ【元和】 ⇒げんな(元和) 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「元和」の意味・読み・例文・類語 げんなゲンワ【元和】 (一)( ﹁げんわ﹂の連声(れんじょう) ) 江戸初期、後水尾天皇の代の年号。慶長二〇年︵一六一五︶七月一三日代始により改元。唐の憲宗の年号にならったという。二代将軍徳川秀忠、三代家光の時代。元和一〇年︵一六二四︶二月三〇日寛永と改元。 元和の補助注記 現在は普通﹁げんな﹂と訓むが、古くは﹁げんわ﹂と訓まれた例が多い。 げんわ【元和】 ⇒げんな(元和) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「元和」の解説 げんな【元和】 日本の元号︵年号︶。江戸時代の1615年から1624年まで、後水尾(ごみずのお)天皇の代の元号。前元号は慶長(けいちょう)。次元号は寛永(かんえい)。1615年︵慶長20︶7月13日改元。後水尾天皇の即位にともない行われた︵代始改元︶。また、大坂の役などの戦乱を理由として行われた︵災異改元︶。﹁元和﹂は唐の憲宗(けんそう)の時代の元号︵806~820年︶で、徳川家康の意向により採用されたもの。元和年間の江戸幕府の将軍は徳川秀忠(ひでただ)︵2代︶、徳川家光(いえみつ)︵3代︶。改元直前の1615年︵元和1︶4月に大坂夏の陣が始まり、5月8日に大坂城が落城、豊臣氏は滅亡した。以後、泰平が続くが、これを﹁元和偃武(えんぶ)﹂という。同年7月、江戸幕府は﹁武家諸法度(ぶけしょはっと)﹂とともに﹁禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)﹂を制定して朝廷に介入し、改元ならびに元号に関する規定も盛り込んだ。これ以降、明治維新まで改元や元号制定は朝廷が提案し、幕府の認可を受けて行われるようになる。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報