八王子千人同心(読み)はちおうじせんにんどうしん

改訂新版 世界大百科事典 「八王子千人同心」の意味・わかりやすい解説

八王子千人同心 (はちおうじせんにんどうしん)


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百科事典マイペディア 「八王子千人同心」の意味・わかりやすい解説

八王子千人同心【はちおうじせんにんどうしん】

 
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「八王子千人同心」の意味・わかりやすい解説

八王子千人同心
はちおうじせんにんどうしん

江戸時代、武蔵(むさし)国多摩(たま)郡八王子(東京都八王子市)の周辺に土着していた千人頭(がしら)を中心とした郷士の集団。1590年(天正18)徳川氏の関東入国を機に甲斐(かい)の武田旧臣小人頭(こびとがしら)を中核に構成され、甲州の国境警備と治安維持の任にあたった。初め250人、ついで500人となり、1600年(慶長5)関ヶ原の戦いを機として100人ずつ10組、計1000人に拡大され、10人の千人頭(旗本)の統率下にあった。老中支配から槍奉行(やりぶぎょう)支配下に置かれ、千人頭は200~500石の知行地(ちぎょうち)を与えられ、平(ひら)同心は13俵一人扶持(ぶち)が給され、平時は在村し本百姓(ほんびゃくしょう)として農耕に従事し、幕府の一朝有事の際に備えた。1652年(承応1)以降幕末まで日光勤番(火消役(ひけしやく))を勤め、寛政(かんせい)(1789~1801)、安政(あんせい)期(1854~60)には一部が蝦夷地(えぞち)開拓にあたった。同心、組頭は知識人が多く、日光や八王子周辺の地方文化や産業発達に寄与し、幕末には講武所(こうぶしょ)奉行の支配下に入り、1866年(慶応2)には陸軍奉行並(なみ)の下にあって八王子千人隊と改称した。第二次長州征伐などに随行したが、幕府滅亡とともに解散し、駿府(すんぷ)方面に移住するか、江戸近郊の多摩地域で土着帰農化した。

[村上 直]

『村上直編『八王子千人同心史料』(1975・雄山閣出版)』『村上直編『江戸幕府千人同心史料』(1982・文献出版)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「八王子千人同心」の解説

八王子千人同心
はちおうじせんにんどうしん

武蔵国多摩郡八王子(現,東京都八王子市)周辺に配置されていた江戸幕府の郷士集団。旗本である八王子千人頭に統率された。軍事組織だが,平時には農耕にも従事した。同心株の売買によって周辺の農民も編入された。元来は武蔵・甲斐国境の警備などを目的としたが,1652年(承応元)以降交代で日光勤番を命じられ,将軍の日光社参の供奉も勤めた。八王子千人頭―同心組頭―同心の組織をとった。

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