日本大百科全書(ニッポニカ) 「劉焉」の意味・わかりやすい解説
劉焉
りゅうえん
(?―194)
中国、後漢(ごかん)末の群雄の一人。字(あざな)は君郎(くんろう)。江夏(こうか)郡竟陵(きょうりょう)県︵湖北(こほく)省潜江(せんこう)県の北西︶の人。漢の魯恭王(ろきょうおう)の末裔(まつえい)。後漢末の霊帝(れいてい)期に、天子の﹁気(き)﹂があるとされた益州(えきしゅう)の州牧(しゅうぼく)︵行政長官︶となった。当初は、黄巾(こうきん)の流れをくむ馬相(ばそう)の乱を平定するために、益州豪族の協力を得たが、乱を平定して東州兵(とうしゅうへい)を組織、軍事的基盤を確立すると、一転して豪族を弾圧して専権を振るった。反乱の参加者を軍隊に編成して軍事基盤とする、という方法は、曹操(そうそう)の青州兵(せいしゅうへい)と同じである。軍事力を確立した劉焉は、五斗米道(ごとべいどう)という原始道教の教主である張魯(ちょうろ)と結んで漢中(かんちゅう)を支配させ、後漢と断交して、半独立の安定した支配体制をつくりあげた。ところが、子の劉璋(りゅうしょう)が後を継ぐと、益州豪族と東州兵との対立が激化して、政権は不安定となり、劉備(りゅうび)に征服された。﹃三国志演義﹄では、初め幽州太守(ゆうしゅうたいしゅ)として登場し、劉備が義勇軍としてこれを助ける。劉璋から劉備が益州を奪うことの伏線なのであろう。
﹇渡邉義浩﹈
﹃渡邉義浩著﹃﹁三国志﹂武将34選﹄︵PHP文庫︶﹄
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