翻訳|workhouse
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…これはプロテスタンティズムと重商主義の影響を背景にヨーロッパ各地に広がった。この懲治場house of correctionは,浮浪者を犯罪者予備軍として対象にする点で,救貧対策上のワークハウスwork houseとは起源を異にしていた(イギリスの1609年法は前者に対して単なる改善的処遇のかわりに刑罰的懲戒を権限づけた)。しかし,やがて両者は融合し,軽罪者をも収容しつつ旧来の牢獄jailとも融合していった。…
…この法は,教区連合をつくることによって行政区を拡大し,貧民行政の合理化と貧民処遇の改善を目的としていた。そのために労役場workhouseを老人・病人・孤児など労働能力のない貧民の救済施設と規定し,労働の意思と能力のある貧民については,原則として居宅で救済を行った。彼らに対しては,まず救済委員が仕事の斡旋を行い,仕事がみつからない場合には,その間保護を与えた。…
…大量の貧民が発生した絶対王制下のイギリスではエリザベス女王治下の1601年に救貧法を制定し,さらに産業革命の進展のなかで多くの変遷を経て1834年に改正救貧法が生まれ極貧者の救済が行われた。自由放任主義が時代の原理であったから貧困は個人の責任であると考えられ,労働能力のある貧民が救貧を求めるときには,労役場workhouseに強制収容されて過酷な労働に服さざるをえなかった。さらにその処遇は,最下層の独立労働者の生活以下におさえる劣等処遇less eligibilityの原則によって監獄的生活を強いられ,人間的自由を束縛するなどの厳しい制裁的措置がとられた。…
…この法は,教区連合をつくることによって行政区を拡大し,貧民行政の合理化と貧民処遇の改善を目的としていた。そのために労役場workhouseを老人・病人・孤児など労働能力のない貧民の救済施設と規定し,労働の意思と能力のある貧民については,原則として居宅で救済を行った。彼らに対しては,まず救済委員が仕事の斡旋を行い,仕事がみつからない場合には,その間保護を与えた。…
…大量の貧民が発生した絶対王制下のイギリスではエリザベス女王治下の1601年に救貧法を制定し,さらに産業革命の進展のなかで多くの変遷を経て1834年に改正救貧法が生まれ極貧者の救済が行われた。自由放任主義が時代の原理であったから貧困は個人の責任であると考えられ,労働能力のある貧民が救貧を求めるときには,労役場workhouseに強制収容されて過酷な労働に服さざるをえなかった。さらにその処遇は,最下層の独立労働者の生活以下におさえる劣等処遇less eligibilityの原則によって監獄的生活を強いられ,人間的自由を束縛するなどの厳しい制裁的措置がとられた。…
※「労役場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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