改訂新版 世界大百科事典 「勤工倹学」の意味・わかりやすい解説
勤工倹学 (きんこうけんがく)
Qín gōng jiǎn xué
1957年後半から大躍進期にかけて中国の各級学校で展開された社会主義教育運動の一形態。知識青年を︿社会主義的自覚をもつ,教養をそなえた勤労者に育てあげる﹀という毛沢東の指示︵︽人民内部の矛盾を正しく処理する問題について︾1957年2月︶が発端となった。その源は,第1次世界大戦期の1915年6月にフランスの参戦華工︵参戦国の労働力欠乏を補うために送りこまれた中国人労働者︶の間で,無政府主義者で有名な李石曾︵名は煜瀛︵いくえい︶︶が︿工作に勤め,倹にして以て求学する﹀ことを趣旨に組織した︿勤工倹学会﹀にある。17年には,中国国内に︿留法︵フランス︶勤工倹学会﹀ができ,湖南の新民学会をはじめ,新文化運動にめざめた多くの知識青年が積極的に参加した結果,フランス留学を通じて中国を帝国主義,軍閥から解放する手だてを模索し,さらには肉体労働と頭脳労働の止揚をもめざす,一種独特の思想運動にまで発展した。19-20年が最盛期で,この2年間に四川,湖南の各三百数十名を筆頭に中国各省から2000人近くの青年が渡仏した。勤工倹学生の多くは資本主義国での労働という実践をへて,マルクス=レーニン主義に共鳴しはじめ,22年6月には︿旅欧中国少年共産党﹀が結成された。この結果,蔡和森,趙世炎,向警予,陳延年,王若飛,李立三,さらには周恩来,鄧小平,陳毅,李富春,徐特立,聶栄臻,李維漢など,中国共産党の著名な指導者たちがフランス勤工倹学生の中から輩出した。
執筆者‥森 時彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報