デジタル大辞泉
「和田峠」の意味・読み・例文・類語
わだ‐とうげ〔‐たうげ〕【和田峠】
31メートル。霧ヶ峰の北西に位置し、難所として知られた。付近は黒曜石の産地。
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わだ‐とうげ‥たうげ【和田峠】
- 長野県中央部、霧ケ峰の北方、下諏訪町と和田村との境にある峠。旧峠は西方一キロメートルの地にあり、中山道の最大の難所として知られた。黒曜石の産地。標高一五三一メートル。
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和田峠
わだとうげ
現小県郡和田村と現諏訪郡下(しも)諏(す)訪(わ)町の境にあって、東信濃と中・南信濃を結ぶ峠。標高一五三一メートル。慶長七年︵一六〇二︶中山道の開通に伴い、交通頻繁となる。江戸時代に利用された旧峠は長さ一六五〇メートル、現在の峠から西方およそ一キロに位置する。石器時代より黒曜石を産出したため、かなり広い地域から採集のため通る道のあったことが考えられる。
中山道中最大の難所とされ、和田宿と下諏訪宿の宿間里程は五里一八町の長丁場で、道幅六―七尺、急坂多く降雪、厳寒のみならず、降雨、濃霧の時は途中に人家がなく難渋をきわめた。享保九年︵一七二四︶の和田村指出帳︵和田村誌︶によると、幕府はこの峠に唐(から)沢(さわ)・東(ひが)餅(しも)屋(ちや)・西餅屋・樋橋・落(おち)合(あい)に休み場を許可。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
和田峠(東京都と神奈川県の境)
わだとうげ
東京都八王子市西端と神奈川県相模原市(さがみはらし)緑(みどり)区との境にある峠。標高688メートル。江戸時代、甲州街道の脇(わき)往還であった陣馬(じんば)︵案下(あんげ)︶街道の峠で、八王子から北浅川沿いに恩方(おんがた)、案下を経て上野原︵山梨県︶に至る。現在は陣馬山の登山口で、和田峠から陣馬峠、明王(みょうおう)峠、景信(かげのぶ)山、小仏(こぼとけ)峠の尾根伝いのコースは眺望の美しさで知られる。なお和田峠東方の関場に、旅人、物資の出入りを監視した口留(くちどめ)番所跡が、近くの琴平住吉神社に中村雨紅作詞の﹁夕焼小焼﹂の碑がある。
﹇沢田 清﹈
和田峠(長野県)
わだとうげ
長野県中央部、諏訪(すわ)郡下諏訪町と小県(ちいさがた)郡長和町(ながわまち)の境界にある峠。標高1531メートル。国道142号︵中山道(なかせんどう)︶が通じる。近世には中山道が現在の峠の西方1キロメートルの所︵1615メートル︶を通り、中山道の峠のなかで最大の難所であった。そのため幕府は峠に唐沢(からさわ)、東餅屋(ひがしもちや)などの休み場を許可した。1877年︵明治10︶に旧峠の東の鞍部(あんぶ)︵1570メートル︶を通る道ができ、さらに1896年には最近まで使われていた峠︵1531メートル︶ができた。明治期には諏訪の製糸工場で働く女工や原料繭(まゆ)などが馬車で峠を越えた。峠付近は、打製石器の原材である黒曜石の産地で、峠東方の男女倉遺跡群(おめぐらいせきぐん)は黒曜石を用いた石器製作の跡と推定される。また今日でもブローチなどに加工されている。1978年︵昭和53︶、標高の低い位置で峠下を通過する有料の新和田トンネルが開通し、峠を越す国道142号部分の交通量は少なくなった。
﹇小林寛義﹈
﹃市川健夫著﹃信州の峠﹄︵1972・第一法規出版︶﹄
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和田峠 (わだとうげ)
長野県中央部,霧ヶ峰の北西にある峠。標高1531m。近世に中山道が通じたが,中山道の中では最も標高が高く,最大の難所になっていたため,唐沢,東餅屋などに休み場が設けられていた。南麓の宿駅下諏訪は温泉もあって大いに栄えた。中央本線開通後はさびれたが,1978年峠の下に国道142号線の新和田トンネルが貫通して,冬季でも交通は容易になった。
和田峠の周辺は,本州でも最大級の黒曜石の産出地として知られている。和田峠産の黒曜石で作られた石器は,中部地方,関東地方など各地の先土器時代や縄文時代の遺跡から出土しており,先史時代の交易が広範囲に行われていたことを示す例とされている。
執筆者‥市川 健夫
和田峠 (わだとうげ)
東京都南西端,八王子市恩方と神奈川県相模原市の旧藤野町との境にある峠。標高688m。多摩川と相模川の分水界をなす。ハイキングコースで知られる陣馬山のすぐ北に位置し,古くは案下︵あんげ︶峠と呼ばれた。八王子市と山梨県上野原市を結ぶ案下街道が通じているが,両市間は甲州街道や中央本線の利用が便利なため交通量は少ない。峠直下の谷間から浅川上流の案下川が流れ出ている。
執筆者‥井内 昇
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和田峠
わだとうげ
高 688m。多摩川と相模川の分水界をなす。江戸時代は甲州街道の間道であった甲州脇往還が通じていた。高尾陣場都立自然公園の一部であり,すぐ南の陣馬山付近はハイキングコースとなっている。
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和田峠【わだとうげ】
長野県霧ヶ峰北西部,下諏訪町と小県(ちいさがた)郡和田村︵現・長和町︶の境にある旧中山道の峠。標高1531mで道中の最高点。鉄道の開通で一時衰えたが,現在は国道142号がトンネルで通じ,北信と南信を結ぶ重要路線となっている。星ヶ塔は石器時代に石器の原材である黒曜石の産地としても著名。江戸時代,中山道最大の難所で,1724年には問屋や休憩所の設置が許可された。のち冬季間に焚火をたき,旅人に粥,牛馬に飼葉を施す永代人馬施行所が始められた。
→関連項目下諏訪﹇町﹈
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世界大百科事典(旧版)内の和田峠の言及
【和田[村]】より
…中心集落の和田は中山道の宿駅として発達した。村の南西には中山道随一の難所といわれた[和田峠]があり,付近は石器時代から黒曜石の産地であった。新和田トンネル開通(1978)後は諏訪地方との往来が容易になり,また美ヶ原と茅野市を結ぶビーナスラインを利用した観光客が増えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」