宜秋門院(読み)ギシュウモンイン

デジタル大辞泉 「宜秋門院」の意味・読み・例文・類語

ぎしゅう‐もんいん〔ギシウモンヰン〕【宜秋門院】

 
11731239()()  

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精選版 日本国語大辞典 「宜秋門院」の意味・読み・例文・類語

ぎしゅう‐もんいんギシウモンヰン【宜秋門院】

 

(一)()()
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宜秋門院」の意味・わかりやすい解説

宜秋門院
ぎしゅうもんいん
(1173―1238)


()()()()()()()3923118951115()9011()16()42695813()11退1200262801110170414()()()35122()1228()


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朝日日本歴史人物事典 「宜秋門院」の解説

宜秋門院

 
1.12.28(1239.2.3)
3(1173)
,5(1189),1(1190),6()7退,,2(1200)1(1201),2(1212)1(1204),50,,,  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宜秋門院」の解説

宜秋門院 ぎしゅうもんいん

1173-1239* 鎌倉時代,後鳥羽(ごとば)天皇の中宮(ちゅうぐう)。
承安(じょうあん)3年9月23日生まれ。九条兼実(かねざね)の娘。母は藤原兼子。文治(ぶんじ)6年入内(じゅだい)。建久6年昇子内親王(のちの春華門院)を生む。7年父が関白の座を追われたため,ともに内裏を退出。正治(しょうじ)2年院号をうける。建仁(けんにん)元年法然のもとで出家した。暦仁(りゃくにん)元年12月28日死去。66歳。名は任子。法名は清浄智。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宜秋門院」の意味・わかりやすい解説

宜秋門院
ぎしゅうもんいん

 
[]4(1174).
[]1(1238).12.28. 
 () 1 (1190)  () 7 (1196) 退2 (1200)   

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