デジタル大辞泉 「室町」の意味・読み・例文・類語 むろまち【室町】 京都市を南北に走る室町通り沿道の地区。繊維問屋街。中世、今出川通りの北に室町幕府が置かれた。 東京都中央区北西部、日本橋室町の地域。商業地。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「室町」の意味・読み・例文・類語 むろまち【室町】 (一)[ 一 ] 京都市の市街地を南北に走る室町通の沿道の地区名。平安京の東洞院大路と西洞院大路との間の室町小路にあたる。中世、今出川通北の地に室町幕府︵花の御所︶が置かれた。西陣機業の発展に伴って発達した繊維問屋街である。 (二)[ 二 ] 東京都中央区日本橋の地名。日本橋から神田方面に通じる大通りの両側にある。江戸時代は問屋街で、三丁目の東側に浮世小路があった。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「室町」の解説 室町むろまち 福岡県:北九州市(旧豊前域)小倉北区小倉城下室町[現在地名]小倉北区室町一―三丁目 小倉城の北、西曲輪の北部、紫(むらさき)川河口の左岸に立地する。かつては高(たか)浜(はま)浦の地で、細川時代は諸(もろ)町と称したが、小笠原時代に室町に改めたという︵倉府俗話伝︶。長崎街道筋の街路が紫川に架かる常(とき)盤(わ)橋︵大橋︶まで続き、城下中最も賑いをみせた町の一つとして同橋より西に大きな町家が連なる。橋の手前の広場を西(にし)勢(せい)溜(だまり)といい、北側に高札場が置かれた。毛利勝信家臣の石原祐重の子が当町三丁目で商いを始め、細川忠興の小倉城下建設に伴い東橋本で酒造を始めたという。慶長年間︵一五九六―一六一五︶伊賀の小田善兵衛が小倉に来て宿屋を営み、伊賀屋と称した。 室町むろまち 大分県:大分市府内城下室町[現在地名]大分市中央町(ちゆうおうまち)二丁目 東西に延びる竹(たけ)町の南に延びる町。慶長府内絵図に町名がみえ、東頬・西頬ともに四六間半、南北の入一五間。竹町は西隣の上(かみ)柳(やなぎ)町北側に記され、当町の南は西(にし)町。延宝期︵一六七三―八一︶莚問屋の粗物仲間四人のうちに桜屋助右衛門がいた︵府内藩日記︶。享保年間︵一七一六―三六︶には粗物仲間古組一〇人・新組一〇人もあり、古組に酢屋新兵衛、新組に福島屋平右衛門がいた︵﹁大分県史蹟名勝天然記念物報告書﹂一二︶。 室町むろまち 岐阜県:大垣市大垣城下室町[現在地名]大垣市室町・室本町(むろほんまち) 大垣城の北西に位置する士屋敷地域。北は宮(みや)町、西は室村、南東は大垣八幡神社の境内地に接する。享保城下絵図には足(あし)軽(がる)町と記される。古くは室村のうちで、寛永―延宝期︵一六二四―八一︶に侍町となったとされる。延宝五年の切(きり)戸(ど)村絵図に大垣室町、元禄路見帳には室足軽町とみえたという︵大垣市史︶。享和四年︵一八〇四︶の藩士家並帳︵林文書︶には室(むろ)清(しみ)水(ず)町とあり、町内は室清水町・室清水東町・室清水東中之町・室清水大東町・室堅町の五つに分れ、室清水東町はかつてカネヒラという刀匠が住んでいたと伝え、カネヒラ町ともいった。 室町むろまち 福井県:福井市福井城下室町[現在地名]福井市松本(まつもと)三丁目・宝永(ほうえい)三丁目 東西に走る北陸街道に沿う町で、東は境(さかい)町、西は寺(てら)崎(さき)町に続く。万治二年︵一六五九︶御城下之図は当町を御(みと)戸(が)川(わ)町と記し、貞享二年︵一六八五︶福居御城下絵図以降室町とみえる。正徳三年︵一七一三︶頃の御城下惣町間数帳には﹁往還室町 六拾弐間、寺崎町ヨリ境町迄、但道幅五間﹂﹁室町裏町 八拾間、有賀小右衛門下屋敷ヨリ興宗寺前迄、但道幅三間﹂と記す。 室町むろまち 福井県:武生市府中町室町[現在地名]武生市京(きよう)町一丁目・幸(さいわい)町・蓬莱(ほうらい)町 北陸街道に沿う町で、北は常(とき)盤(わ)町、南は東に折れて大(だい)黒(こく)町に続く。寛永二年︵一六二五︶の浅井永記録は当町を﹁油在家六十軒﹂と記す︵南条郡誌︶。惣(そう)社(じや)大明神の門前町にもあたり、町名は中世以来、惣社に御油を寄進する在家町であることに由来すると思われる。 室町むろまち 福井県:坂井郡丸岡町丸岡城下室町[現在地名]丸岡町本(ほん)町 丸岡城の西、外堀外に南北に走る丸岡街道沿いの町。西裏側を外堀が囲み、北は小(こび)人(と)町、南は新(しん)町に接する。慶長一八年︵一六一三︶の丸岡城下図には﹁室町通﹂とみえ、寛永年間︵一六二四―四四︶と推定される丸岡町絵図︵佐久見家文書︶では家数は三九を数える。また天保七年︵一八三六︶八月の円陵輿地略図によれば家数三〇。 室町むろまち 秋田県:秋田市久保田城下室町[現在地名]秋田市旭南(きよくなん)一丁目・同二丁目の各一部 鉄(てつ)砲(ぽう)町の南、馬(ばく)口(ろ)労(う)町西部の裏町筋に至る部分をいう。正保年間︵一六四四―四八︶の出羽国秋田郡久保田城画図︵内閣文庫蔵︶には﹁町﹂と記され、寛文三年︵一六六三︶の外町屋敷間数絵図︵秋田県庁蔵︶には道路左右とも﹁主((梅)馬(津))下屋敷﹂とみえ、宝暦九年︵一七五九︶の御城下絵図では梅津小太郎下屋敷とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
百科事典マイペディア 「室町」の意味・わかりやすい解説 室町【むろまち】 東京都中央区北部,日本橋北側地区。江戸時代からの商店街で,老舗(しにせ)が多い。三越百貨店本店,三井住友銀行のほか,西の本石町には日本銀行,東京三菱銀行があり,東の本町には織物,薬品問屋が集中,金融・商業の中核地をなす。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「室町」の意味・わかりやすい解説 室町むろまち 東京都中央区北西部の地区で、正しくは日本橋室町。﹁江戸寛永(かんえい)図﹂に﹁むろ町﹂の記載がある。土蔵︵室︶が建ち並んでいた土地、または京都室町の名を移したものといわれる。徳川家康入府後、埋立地として造成し、日本橋を架け、城下の商業地域としたため、水陸交通の至便と相まって発展した。現在は都心の一部を形成し、三越本店をはじめ大企業が集中しているが、海産物問屋など連綿と続く老舗(しにせ)もある。 ﹇菊池万雄﹈ 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例