小倉正恒(読み)オグラマサツネ

デジタル大辞泉 「小倉正恒」の意味・読み・例文・類語

おぐら‐まさつね〔をぐら‐〕【小倉正恒】

 
18751961  

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20世紀日本人名事典 「小倉正恒」の解説

小倉 正恒
オグラ マサツネ

 

, ;;() 





8322(1875)



36(1961)1120







30



25退3233西710516退8162319


 

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小倉正恒」の解説

小倉 正恒
オグラ マサツネ


肩書
蔵相,貴院議員(勅選),住友財閥総帥

生年月日
明治8年3月22日

出生地
石川県金沢市

学歴
東京帝大法科大学英法科〔明治30年〕卒

経歴
内務省に入り、山口県参事官を経て25歳で退官、明治32年住友に移る。33年西欧留学。住友コンツェルン確立期のリーダーとなり、大正7年本店理事、10年常務理事を経て、昭和5年住友合資会社総理事。住友鉱業、住友化学工業、住友生命、日本板硝子などの各会長を歴任し、16年総理事を退く。一方8年勅選貴院議員、16年から第2、3次近衛内閣の国務、大蔵大臣に就任、戦時金融公庫総裁、東亜経済懇談会会長を経て、19年南京国民政府全国経済委員会最高顧問となり、中国で終戦を迎える。戦後は道徳運動を展開、石門心学会長、修養団後援会長、アジア文化図書館理事長などをつとめた。著書に「星厳集註」「五千巻堂集」など。

没年月日
昭和36年11月20日

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小倉正恒」の意味・わかりやすい解説

小倉正恒
おぐらまさつね
(1875―1961)


1897301899()19002193051937()1941退麿()



1965

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小倉正恒」の意味・わかりやすい解説

小倉正恒
おぐらまさつね

 
[]1875.3.22. 
[]1961.1.20. 
1899 ()  193041410332麿351  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小倉正恒」の解説

小倉正恒 おぐら-まさつね

1875-1961 明治-昭和時代前期の実業家,政治家。
明治8年3月22日生まれ。内務省をへて,明治32年住友にはいり,昭和5年総理事となる。8年貴族院議員。第2・第3次近衛内閣の国務相,蔵相をつとめ,17年戦時金融金庫総裁となった。昭和36年11月20日死去。86歳。石川県出身。東京帝大卒。著作に「小倉正恒談叢」など。

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367日誕生日大事典 「小倉正恒」の解説

小倉 正恒 (おぐら まさつね)

生年月日:1875年3月22日
明治時代-昭和時代の実業家;政治家。住友財閥総帥;貴族院議員
1961年没

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