山科言継(読み)ヤマシナトキツグ

デジタル大辞泉 「山科言継」の意味・読み・例文・類語

やましな‐ときつぐ【山科言継】

 
15071579  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「山科言継」の意味・読み・例文・類語

やましな‐ときつぐ【山科言継】

 

(一)()
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「山科言継」の意味・わかりやすい解説

山科言継 (やましなときつぐ)
生没年:1507-79(永正4-天正7)


10西13153323744使691229231調

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山科言継」の意味・わかりやすい解説

山科言継
やましなときつぐ
(1507―1579)


()()152017()()()()()()()調()調調()()()()()()()



19471980

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「山科言継」の解説

山科言継

 
7.3.2(1579.3.28)
4.4.26(1507.6.6)
,,,17(1520),6(1537),7,13,12(1569),2(1574),調,,,,,,2(),,2(1556)駿(),,1(1558),30,12,200(1568)(152776),,,<参考文献>/  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山科言継」の意味・わかりやすい解説

山科言継
やましなときつぐ

 
[]4(1507).4.26. 
[]7(1579).3.2. 
 17 (1520)  () 6 (37) 17 12 (69)  1915 ()   

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「山科言継」の解説

山科言継
やましなときつぐ

1507.4.26~79.3.2

戦国期の公卿。父は言綱(ときつな),母は内侍司に属した女嬬(にょじゅ)。1537年(天文6)従三位。衰微をきわめた朝廷経済のため奔走し,58年(永禄元)後奈良天皇没後の服喪期間終了儀式費用調達のため,伊勢国司北畠具教(とものり)のもとへ下ったほか,69年には徳川家康・織田信長に朝廷費用調達を依頼した。同年山科家としてはじめて権大納言に任じられた。日記「言継卿記」は戦国期公家研究の重要史料。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「山科言継」の意味・わかりやすい解説

山科言継【やましなときつぐ】

 
()()()6015271576
 

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山科言継」の解説

山科言継 やましな-ときつぐ

1507-1579 戦国-織豊時代の公卿(くぎょう)。
永正(えいしょう)4年4月26日生まれ。山科言綱(ときつな)の子。永禄(えいろく)12年山科家ではじめて権(ごんの)大納言にすすむ。正二位。戦国武将から献金をつのり,衰微した朝廷経済のたてなおしにつとめた。また有職(ゆうそく)故実,医薬に通じた。日記に「言継卿記」がある。天正(てんしょう)7年3月2日死去。73歳。法名は照言。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「山科言継」の解説

山科言継
やましなときつぐ

 
150779

 ()   

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「山科言継」の解説

山科言継 (やましなときつぐ)

生年月日:1507年4月26日
戦国時代;安土桃山時代の公卿
1579年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山科言継の言及

【公卿補任】より

…ただ現存最古の写本(平安末~鎌倉初期写)である九条家旧蔵本《公卿補任》は,各人の出自・略歴等を死去または出家の条に記載するなど,現在の形と異なる点があり,室町時代までは多少異同のある数本が存したらしい。室町末期,山科言継が諸本によって書写集成し,その子言経がそれに書き継いで48冊本が成立すると,この山科本がもっとも世に流布して転写され,年々書き足されていった。《国史大系》本も,この系統に属する宮内庁書陵部蔵御系譜掛本60冊を底本とし,諸本によって校訂増補したものである。…

【言継卿記】より

…戦国時代の日記。筆者は権大納言山科言継で,途中欠失を含むが,1527‐76年(大永7‐天正4)にわたる。原本37冊が残存し,大部分が東大史料編纂所蔵。…

【山科家】より

…藤原北家房前(ふささき)の男魚名の後裔で,四条家の支流に当たる。すなわち四条中納言家成の六男権中納言実教(さねのり)(1150‐1227)を祖とする。後白河法皇の寵妃丹後局(高階栄子)の子教成(のりしげ)(1177‐1239)は法皇の信任が厚く,勅旨により四条実教の嗣子となり,丹後局の山科の別業を譲られ,子孫は同所に住んだが,南北朝時代の中ごろ,教行のときから地名にちなんで山科を姓とするようになった。…

※「山科言継」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ

タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...

タコノキの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android