日本大百科全書(ニッポニカ) 「戦争(war)」の意味・わかりやすい解説
戦争(war)
せんそう
war
総説
戦争を、その実質的意味で定義すれば、政治集団の間、とくに主権国家の間で、相当の期間継続して相当の規模で行われる軍事力の行使を中心とする全面的闘争状態ということになろう。プロイセンの戦略家クラウゼウィッツが、﹁戦争は、政治関係の継続たるにとどまらず、他の手段による政治の実現である﹂と規定したように、戦争は高度に政治的な現象であり、その点では、戦争と他の闘争形態――外交、経済的圧力、宣伝、干渉、武力による威嚇、小規模の武力行使など――との差異は相対的であるが、より全面的かつ包括的な闘争関係である点で区別することができる。他方で、戦争をその形式的=法的意味で定義すれば、当事者の戦争開始の意思表示から、合意または一方的征服による戦争終結まで継続する特殊な国際法的状態ということになろう。この意味での戦争は、現実の武力行使が伴われなくても、あるいは武力の行使が全面的に終結したあとでも、なお存在することができる。実質的意味での戦争と形式的意味での戦争は、これまでだいたい一致してきた。しかし、最近では形式的意味での戦争の概念の実際上の機能はしだいに失われつつある。 ﹇石本泰雄﹈
戦争観念の変遷
戦争の違法化
「無差別戦争観」は20世紀に入って国際条約によって動揺するに至った。国際連盟規約は、重大な紛争はすべて連盟機関または国際裁判に付託することを義務づけ、連盟機関の勧告や国際裁判所の判決に服する国に対して戦争に訴えることを禁止した(第13条4、第15条6)。1928年に64か国によって署名された不戦条約は、国際紛争解決のために戦争に訴えることを禁止し、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを宣言した。国際連合憲章は加盟国および国連の行動原則として、「国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と規定している(第2条4)。このように今日では一般的な条約によってすくなくとも攻撃戦争は違法化されているのであるが、それだけではなく普遍的な慣習法でも戦争の違法性は確立しているといわねばならない。もっとも、最近では、かつて力の支配によって構築された植民地体制や、人種差別体制への抵抗と解放のための戦争の正当性が認められるに至っている。
[石本泰雄]
戦争の歴史
戦争の政治的・社会的性格は時代とともに変化する。戦争がその時代の国際社会ないし国内社会の政治的・社会的構造を反映しているからである。
戦争は、組織化された集団間の武力による流血的な闘争であるが、その武力は、武器弾薬等の物的要素と戦闘兵員等の人的要素で構成されている。武器弾薬等の量的・質的(軍事技術的)要素は経済的生産の所産であり、戦闘兵員等の人的要素の量・質の問題も、終局的には、経済的条件およびそれによって規定される政治的・文化的条件に依存している。こうして、戦争の性格は変化してきた。
[林 茂夫]
古代の戦争
中世の戦争
近世の戦争
フランス革命と国民戦争
帝国主義と世界戦争
現代の戦争の性格と特徴
第二次世界大戦後の核時代の開幕と、第三世界の台頭、その国際的スケールでの政治と工業化過程への参加は、北の世界での「平和」(戦争のない状況)と南の世界での「戦争」(社会的、経済的、政治的、文化的な第三世界独自の内発要因を基底にしつつ、権力の正当性をめぐる一国内の内戦を軸とした武力紛争)の多発状況を現出させた。こうして現代は、「絶対戦争」を現実化する核戦争の危険と、地域的に限定されてはいるが「絶対戦争」の本質をもつ内戦の多発という、2種類の「絶対戦争」の可能性を内包した時代である。
[林 茂夫]
政治目的達成手段としての有効性の減少
軍事と外交の一体化
武力紛争の多発と性格の変化
核兵器の発達と新植民地主義、第三世界の独立と工業化の進展など、第二次大戦後の政治的、経済的、軍事的な条件の画期的変化によって、いまや武力紛争の舞台と当事者は第三世界に移行した。紛争の争点も領土ではなく、政治権力の正当性あるいは体制のあり方をめぐるものに変わり、武力紛争は従来の大部分の戦争とは異なる性格の戦争になった。第二次大戦後の50年間で主要武力紛争は、ベルリン封鎖とハンガリー事件、チェコ事件を除き、すべてが第三世界で起きている。世界の軍事・社会支出調査機関「ワールド・プライオリティーズ」(アメリカの民間機関)によると、1945~88年までに発生した戦争(一つ以上の政府がかかわり、年間1000人以上の死者を出した大規模武力紛争)は129件で、うち国家間紛争は34件、内戦は95件となっている。しかもこれらの紛争の争点は、内戦はもちろん植民地独立戦争、国家間紛争においても、従来の領土ではなく、主として政治権力の正当性をめぐって、あるいはその延長線上の戦争として起こっている。この武力紛争の構造変化は、従来の、処分可能な領土を争点とした戦争の講和終結方式を不可能にし、一時的休戦はあるにしろ、係争中の権力に十分な正当性が認められるまで継続せざるをえなくしている。
第三世界における急速な工業化は伝統的な社会システムの変容に起因する社会紛争を惹起(じゃっき)し、同時にそれは先進国の経済的援助をてこに行われたから、二重の抑圧体制下に置かれた民衆の反乱を必至とする。その意味で第三世界の反乱は政治権力への反乱であると同時に、その権力を上から支える先進国や先進国を中心にした国際体制への反乱という二重の性格をもっている。これが武力紛争多発の背景である。だが、先進国の武力介入は政治的、経済的に制約されており、その下で第三世界の武力紛争は権力の正当性を争点に惹起し続けてきたのである。しかも冷戦後は、冷戦構造の崩壊で、権力を上から支えてきた先進国の経済援助と抑圧がなくなり、武力紛争は一挙に多発・激化するようになった。今日の戦争の9割以上はこのような戦争であり、その内発要因が除去されない限り、終わりなく続くのである。
[林 茂夫]
戦争被害の激増
戦争の犠牲者は激増している。国連の世界社会情勢報告(1985)によると、1945~83年の間におもな武力紛争は103件(ヨーロッパ3件)で、軍人・民間人の死者は約1636万人(ヨーロッパ約18万人)である。「ワールド・プライオリティーズ」の報告書(1993年11月)によると、第二次大戦後92年までに起きた大規模武力紛争は149件に上り、死者総数は2314万2000人に達している。同報告書によれば、この死者数を年間平均すると、それは第一次・第二次大戦の死者数を含んでいないにもかかわらず、19世紀の2倍、18世紀の7倍強という状況である。武力紛争は小規模でも、その性格の違いや頻度の多さによって犠牲者はきわめて多くなっているのである。さらに難民の急増がある。1951年に設置された国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、60年に140万だった難民の数は、83年には1100万人で、冷戦後には地域紛争・民族紛争の続発で「92年には1日当り1万人の難民が発生」(『世界難民白書』93年)したほど、UNHCRによると、1989年に1490万人だった難民の数は、93年には2300万人(別に国内避難民2500万人)に達している。
民間人の被害が激増していることも特徴的で、第一次大戦では軍人は全死者の95%、民間人は5%だったが、第二次大戦では軍人52%、民間人48%となった。朝鮮戦争ではその比が逆転し、16%対84%、ベトナム戦争では5%対95%となった。しかもその犠牲は社会的弱者である子供や女性に集中している。『子ども白書'95』(国際児童基金unicef94年12月)によると、過去10年の間に戦争で約200万人の子供が殺され、400~500万人の子供が障害を負った。また500万人以上の子供が難民キャンプに追いやられ、1200万人の子供が住む家を失ったと報告されている。
核戦争による被害については多くの専門家による報告が出されており、この種の戦争には勝者はありえないこと、さらに核戦争後、社会的・経済的復興ができるようになるまでに数十年、数百年もかかることが指摘されている。それだけでなく、地球の環境が大きく変わる、いわゆる「核の冬」の到来も警告されている。
[林 茂夫]
『木村尚三郎・牟田口義郎・森本哲郎企画『世界の戦争』全10巻(1986・講談社)』▽『三浦一郎・小倉芳彦・樺山紘一監修『世界を変えた戦争・革命・反乱 総解説』(1983・自由国民社)』▽『G・ブートゥール、R・キャレール著、高柳先男訳『戦争の社会学』(1980・中央大学出版部)』▽『林茂夫著『Q&Qの時代を生きる』(1995・日本評論社)』▽『ジョージ・C・コーン著、鈴木主悦訳『世界戦争事典』(1998・河出書房新社)』▽『張聿法・余起棻編、浦野起央・劉甦朝訳『第二次世界大戦後 戦争全史』(1996・刀水書房)』