日本歴史地名大系 「昭和町」の解説
昭和町
しようわちよう
面積:九・一五平方キロ(境界未定)
郡東部、甲府盆地中央部の釜無川氾濫原上に位置し、北は竜りゆ王うおう町、東は甲府市、南は玉たま穂ほ町・田たと富み町。西は南流する釜無川にわずかに接し、対岸は白しら根ね町・若わか草くさ町。北東部を国道二〇号がかすめて通り、中央自動車道が東部を南北に縦貫し、町の北端に甲府昭和インターチェンジがある。JR身延線が南部から東部に抜ける。笛吹川の支流鎌かま田た川・山やま伏ぶし川などや釜無川支流の常じよ永うえい川が南流する。氾濫原上にあるため、原始・古代にかかわる遺跡は少ない。甲斐源氏の祖といわれる刑部三郎義清に関する伝承が西さい条じようにあり、同地の義よし清きよ神社はその居館跡と伝える。当町東部の押おし越こしや紙かみ漉すき阿あわ原らは平安時代末期から鎌田庄に属したという。戦国期には河かと東う郷に加藤氏が、西条に西条氏が拠ったという。しかし当町域の本格的な開発は信玄堤がほぼ完成したとみられる永禄三年︵一五六〇︶頃以降と思われる。武田氏滅亡後の天正一〇年︵一五八二︶以後、徳川氏により多くの武田旧臣が本領を安堵されるが、そのなかに当町に関する地名が散見する。
近世には巨摩郡中郡筋に属し、西条村・西条新田・清しみ水ずあ新ら居い村・押越村・紙漉阿原村・河かと東うな中かじ島ま村・上かみ河がと東う村・河かさ西い村・飯いつ喰くい村・築つい地じあ新ら居い村・築地新田の一一ヵ村があった。
昭和町
しようわまち
- 秋田県:南秋田郡
- 昭和町
面積:四〇・五二平方キロ
南秋田郡の南部に位置し、八郎潟南東の湖岸に接する。南は秋田市金かな足あし地区。東の山間地域豊とよ川かわと西部湖岸沖積平野にある大おお久く保ぼ地区、日本海に沿って南北に走る天王砂丘の北端が八郎潟南端に接する白しら州す野の地区からなっている。出羽丘陵西端に源を発して西流する豊ゆたか川が河岸段丘を形成して八郎潟に注ぎ、これとほぼ平行するように、馬ばふ踏み川が八はつ丁ちよ目うめ・乱みだ橋ればし付近から西流して大久保本町を貫流し八郎潟に注ぐ。
国道七号が秋田市大おお清しみ水ず地区から町中央部を南北に貫走し、旧国道が大清水地区から分岐して西の砂丘地を通り、八郎潟南端部を経て大久保本町で再び七号に合流する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報