松永貞徳(読み)マツナガテイトク

デジタル大辞泉 「松永貞徳」の意味・読み・例文・類語

まつなが‐ていとく【松永貞徳】

 
15711654()()()()()()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「松永貞徳」の意味・読み・例文・類語

まつなが‐ていとく【松永貞徳】

 

(一)()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松永貞徳」の意味・わかりやすい解説

松永貞徳
まつながていとく

 
[]2(1571).
[]2(1653).11.15. 
 () 西 ()  ()  ()  (1643)  ()  (55)  (77)  (70)  (84)  (36)   

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松永貞徳」の解説

松永貞徳 まつなが-ていとく

 
15711654* -,
()2(),(),,20,()()2111583(),,(),,
,()  

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旺文社日本史事典 三訂版 「松永貞徳」の解説

松永貞徳
まつながていとく

1571〜1653
江戸前期の連歌・俳諧師。貞門派の始祖
別号に長頭丸 (ちようずまる) ・逍遊軒 (しようゆうけん) など。京都の人。連歌師松永永種 (えいしゆ) の子として生まれ,幼くして細川幽斎・里村紹巴 (じようは) らから和歌・連歌を学んだ。のち山崎宗鑑の俳諧連歌とは別の貞門派俳諧をおこした。『油糟 (あぶらかす) 』『淀川』『御傘 (ごさん) 』によって式目を唱え,俳諧による滑稽を説いた。門下に北村季吟らがいる。

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改訂新版 世界大百科事典 「松永貞徳」の意味・わかりやすい解説

松永貞徳 (まつながていとく)

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百科事典マイペディア 「松永貞徳」の意味・わかりやすい解説

松永貞徳【まつながていとく】

貞徳

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「松永貞徳」の解説

松永貞徳
まつながていとく

貞徳(ていとく)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松永貞徳」の意味・わかりやすい解説

松永貞徳
まつながていとく

貞徳

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世界大百科事典(旧版)内の松永貞徳の言及

【貞徳】より

…近世前期の俳人,歌人,歌学者。姓は松永,名は勝熊(幼名は小熊),別号は逍遊,逍遊軒,松友,頌友,長頭丸(ちようずまる),明心,延陀丸,延陀王丸,保童坊など。晩年住んだ京五条稲荷町の〈花咲の宿〉にちなみ,五条の翁,花咲の翁とも呼ばれた。京都の人。摂津国高槻(大阪府)の豪族入江氏の出で,父永種のとき,曾祖母妙精の縁戚松永弾正久秀の姓をとって松永と改めた。永種は,当代随一の学者,文化人で豊臣秀吉のお伽衆大村由己(ゆうこ)や,歌壇・歌学界の第一人者細川幽斎や,連歌界の大立者里村紹巴(じようは)などと親交を結んでいたので,後年文人として立つ貞徳にはきわめて有利な環境が整っていた。…

※「松永貞徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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