デジタル大辞泉
「権現造」の意味・読み・例文・類語
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ごんげん‐づくり【権現造】
(一)〘 名詞 〙
(二)① 神社本殿で、寺院建築の様式を採り入れたもの。組み物や彫刻が多く、彩色を施してある。堂社造り。
(一)[初出の実例]﹁一社に大明神づくり権現作りとて二あり﹂(出典‥月菴酔醒記︵1573‐92頃︶上)
(三)② 神社建築形式の一つ。拝殿と本殿とを石間(いしのま)、または相間(あいのま)でつらねたもの。京都の北野神社で平安時代に初めて造られ、豊国廟がこの形をとり、東照宮がこれを採用して以来、近世神社建築に多く用いられた。まつられた東照大権現の名による称。石の間造り。
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権現造②︿栃木県日光東照宮﹀
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権現造
ごんげんづくり
合の社殿の建築様式をさしたが,明治以後,本殿と拝殿との間を石の間,または相の間という別棟の中殿によって連結した社殿をいうようになった。初めて現れたのは平安時代の京都の北野神社であるが,豊臣秀吉の豊国廟に用いられ,東照宮に多く使われたので,東照大権現の名をとって権現造という。北野神社,宮城県仙台市の大崎八幡宮,栃木県日光市の日光東照宮などが代表例。
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権現造
ごんげんづくり
神社の社殿形式の一つ。京都北野神社、日光東照宮などのように、本殿と拝殿を相の間(あいのま)で連結したものをいう。屋根は本殿、相の間、拝殿とエの字形に連なる。相の間の床が、本殿、拝殿より低く石敷きとなるものを石の間という。一般には相の間は拝殿と同じ高さの板敷きになり、幣殿(へいでん)として利用される。権現造の社殿は本殿が流(ながれ)造と入母屋(いりもや)造の2種類あるが、いずれも豪華な造りになり、拝殿も正面屋根に千鳥破風(ちどりはふ)を飾るなど装飾化が図られている。権現造の名は東照権現に由来し、別に石の間造ともよばれる。
﹇工藤圭章﹈
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権現造
ごんげんづくり
石間 (いしのま) 造ともいう。神明造の系統を引き,本殿の前に拝殿を配置し,それを石の間︵または相の間︶という幣殿 (へいでん) でI字形に結んだ。代表例として日光東照宮があり,その祭神を東照大権現︵徳川家康︶と称したところからこの名が生まれた。
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出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の権現造の言及
【大崎八幡神社】より
…1月14日から翌朝にかけて行われるどんと祭が有名。︻高橋 富雄︼ 1607年完成の社殿は,いわゆる権現造で,本殿(桁行5間,梁間3間)とその前面にたつ拝殿(桁行7間,梁間3間)との間を石の間(桁行・梁間とも1間)で連結する。この形式では石の間が最も特徴的だが,同じく1607年に再建された北野天満宮が化粧屋根裏をそのままみせているのに対し,ここでは格天井を張っている。…
【北野天満宮】より
…道真が和歌を好んだことから宮中の年中行事に北野聖廟法楽和歌があり,また天神が連歌を好むという伝説から,鎌倉末より社頭で連歌が興行され,連歌所が設けられ月次会が興行された。[天神信仰]︻宗政 五十緒︼
﹇建築﹈
現在の社殿は豊臣秀頼が片桐且元を奉行として,1607年(慶長12)に再建したもので,本殿(桁行5間,梁間4間)の前に拝殿(桁行7間,梁間3間)をおき,両者を石の間(桁行3間,梁間1間)で連結したいわゆる権現造の形式である。さらに拝殿の両側に楽の間が接続している。…
【権現】より
…1868年(明治1)[神仏分離]が政府から通達されて全国各地の社の権現号は廃止された。日光山・久能山・江戸上野等につくられた東照宮の神殿はいずれも拝殿と本殿を石間(いしのま)または相間(あいのま)で連ねた形式をとり,これを権現造と称するが,実はすでに豊国神社にもみられ北野神社も1607年(慶長12)同様式で建てられた。今日民俗芸能としてしられる東北地方の山伏神楽や番楽では獅子頭を権現様と呼び神とあがめ,年末年始にこれを奉じて家々を訪ね,悪魔払い,火伏祈禱を行う風習がある。…
【神社建築】より
…これを日吉造といい,滋賀県の[日吉大社]にのみ固有の形式である。
﹇その他の本殿形式﹈
以上のほか,本殿の前に礼堂を付加してあたかも仏堂のような形態とする京都の八坂神社本殿の八坂造(図8),本殿,石の間,拝殿を連結した京都北野天満宮の権現造(八棟︵やつむね︶造ともいう。図9),母屋の前後に庇をもつ厳島神社本殿の両流造などがある。…
【廟】より
…石の間造はこの後,霊廟建築の範となり,家康をまつった[日光東照宮](1636)をはじめとして,各地の東照宮でも好んで採用された。家康の神号が東照大権現であることから,この形式は権現造と称された。権現造のもとは神社建築であったが,霊屋(たまや)には宝形(ほうぎよう)造(屋根面が一つの頂点に集まる屋根形式)や入母屋造のものも多く,こちらは仏堂がもとになっている。…
【屋根】より
…しかし,入母屋造のなかでも平︵ひら︶(棟方向)の屋根面に段があり,切妻造の四方に庇をつけたような錣葺き︵しころぶき︶,方形造の一種で6面や8面からなる六注造,八注造のように,各種の形式を組み合わせた複合形式や,種々の変形がある。[神社建築]でも屋根の形式からみると,権現造は入母屋造の本殿と拝殿を幣殿でつないだもので,この場合,幣殿の屋根は両下︵りようさげ︶造(切妻造の妻がないような形式)という。春日造は切妻造妻入の正面に庇をつけたもの,流造は切妻造の正面だけが前方に長く延びたものである。…
※「権現造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」