横山エンタツ(読み)ヨコヤマエンタツ

デジタル大辞泉 「横山エンタツ」の意味・読み・例文・類語

よこやま‐えんたつ【横山エンタツ】

 
18961971  

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「横山エンタツ」の解説

横山 エンタツ
ヨコヤマ エンタツ

 




 



 



= , 



29422



 



退



36姿98殿



46321 (1971)



= ()



                  (  0807050303029289)


 

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「横山エンタツ」の解説

横山 エンタツ
ヨコヤマ エンタツ

昭和期の漫才師,喜劇俳優



生年
明治29(1896)年4月22日

没年
昭和46(1971)年3月21日

出生地
兵庫県三田市横山

本名
石田 正見

別名
前名=秋月 太郎,横山 太郎

学歴〔年〕
伊丹中中退

経歴
大正3年中学在学中に家出して東京・浅草で喜劇役者として舞台に立ったあと漫才に転向。この間、喜劇一座を転々としながら中国大陸を渡り歩き、漫才のアメリカ巡業をしたが失敗。昭和6年吉本興業に入って花菱アチャコとコンビを結成。それまで多かった音曲漫才ではなく、近代的話術を中心とした、しゃべくり一本の新しいタイプの漫才で人気を博す一方、チョビひげ、メガネに当時はまだ珍しかった背広姿と、軽妙なしぐさも評判となった。新作の多くはエンタツの自作だったが、中でも「早慶戦」は爆発的にヒットし、吉本漫才王国の基礎をつくったといわれる。9年アチャコの病気などのためコンビを解消。のちエンタツ劇団を結成して喜劇俳優として活躍し、「水戸黄門」「国定忠治」などの喜劇映画でしばしばアチャコと共演した。戦後はエンタツ劇団を解散、ラジオやテレビに出演。平成8年上方演芸に貢献した人を顕彰する“上方演芸の殿堂”に入る。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横山エンタツ」の解説

横山エンタツ よこやま-エンタツ

1896-1971 昭和時代の漫才師,俳優。
明治29年4月22日生まれ。中学を中退して旅回りの喜劇団を遍歴し,昭和4年漫才一座を編成。翌年花菱(はなびし)アチャコとコンビをくみ,しゃべくり漫才の「早慶戦」などで一躍人気をえる。コンビ解消後の17年エンタツ劇団を結成し,喜劇俳優として舞台,映画で活躍した。昭和46年3月21日死去。74歳。兵庫県出身。本名は石田正見。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横山エンタツ」の意味・わかりやすい解説

横山エンタツ
よこやまエンタツ

 
[]1896.4.22. 
[]1971.3.21.
 1930  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「横山エンタツ」の解説

横山 エンタツ (よこやま えんたつ)

生年月日:1896年4月22日
昭和時代の漫才師;俳優
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の横山エンタツの言及

【漫才】より


使(18961971)(18971974)(18981984)(190578)

※「横山エンタツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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