日本歴史地名大系 「武蔵野台地」の解説
武蔵野台地
むさしのだいち
〔歌に詠まれた武蔵野〕
「万葉集」巻一四に「武蔵野の草は諸向きかもかくも君がまにまに吾は寄りにしを」「わが背子を何どかも言はむ牟射志野のうけらが花の時無きものを」と武蔵野を詠んだ歌が収められる。中世には歌枕として「能因歌枕」「和歌初学抄」などの歌学書にとりあげられ、「古今集」に収める「むらさきのひともとゆゑにむさしのの草はみながらあはれとぞみる」(読人知らず)など、多くの和歌に詠まれた。また、建永二年(一二〇七)の大納言久我通光の和歌に「行すゑのながめははてもなかりけり霞ぞあくるむさしのゝ原」(最勝四天王院障子和歌)とあり、正安三年(一三〇一)成立の「宴曲抄」に「武蔵野はかぎりもしらずはてもなし」と謡われているように、広大な原野として有名であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報