藤原俊成(読み)フジワラノシュンゼイ

デジタル大辞泉 「藤原俊成」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐しゅんぜい〔ふぢはら‐〕【藤原俊成】

 
11141204調調  


ふじわら‐の‐としなり〔ふぢはら‐〕【藤原俊成】

ふじわらのしゅんぜい

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精選版 日本国語大辞典 「藤原俊成」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐しゅんぜい【藤原俊成】

 

(一)調調西
 

ふじわら‐の‐としなり【藤原俊成】

  1. ふじわらのしゅんぜい(藤原俊成)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原俊成」の意味・わかりやすい解説

藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)
ふじわらのしゅんぜい
(1114―1204)


()()()()10()53()63()()30()()()()()()()()

 18()()671140114130()()50()()()()()()()()()()118847510()()11851199()()()11991204()()()76()91()()()113091()1340()418()

 ()()



 ()()()()

197323 1975 21982


藤原俊成(ふじわらのとしなり)
ふじわらのとしなり

藤原俊成

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百科事典マイペディア 「藤原俊成」の意味・わかりやすい解説

藤原俊成【ふじわらのとしなり】

 
︿54()︿()400
 

藤原俊成【ふじわらのしゅんぜい】

藤原俊成(としなり)

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改訂新版 世界大百科事典 「藤原俊成」の意味・わかりやすい解説

藤原俊成 (ふじわらのとしなり)
生没年:1114-1204(永久2-元久1)


︿5431132-361140-41631188412033

 117829781201調調︿4


藤原俊成 (ふじわらのしゅんぜい)

藤原俊成(としなり)

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朝日日本歴史人物事典 「藤原俊成」の解説

藤原俊成

 
1.11.30(1204.12.22)
2(1114)
,10,,,,25,(1150),(1166),50,(1188),,(1199)(1200),,,(1205), ,,,,(,),(1197),(1193),<参考文献>,, (2)  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原俊成」の意味・わかりやすい解説

藤原俊成
ふじわらのとしなり

 
[]2(1114)
[]1(1204).11.30. 
 () 5463 (1150) 4 (88)  (90)  (97) 72  

藤原俊成
ふじわらのしゅんぜい

藤原俊成」のページをご覧ください。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「藤原俊成」の解説

藤原俊成
ふじわらのとしなり


11141204.11.30

()()()53()63()()()40()1203(3)420()

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原俊成」の解説

藤原俊成 ふじわらの-としなり

1114-1204 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。
永久2年生まれ。藤原俊忠の3男。母は藤原敦家(あついえ)の娘。正三位,皇太后宮大夫。五条三位とよばれる。藤原基俊(もととし)に歌学をまなび,源俊頼に私淑。幽玄美をとなえ,子の定家ら「新古今和歌集」の歌人をそだてた。「千載和歌集」の撰者で,歌は勅撰集に四百余首はいっている。元久元年11月30日死去。91歳。初名は顕広。法名は釈阿。家集に「長秋詠藻」,歌論書に「古来風体抄」など。
【格言など】世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(「小倉百人一首」)

藤原俊成 ふじわらの-しゅんぜい

ふじわらの-としなり

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旺文社日本史事典 三訂版 「藤原俊成」の解説

藤原俊成
ふじわらのしゅんぜい

 
11141204

 ()  ()   

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の藤原俊成の言及

【藤原俊成】より


︿543(113236)(114041)

【藤原俊成女】より


︿()117 

【艶】より


︿︿︿

【歌論】より


︿︿︿

 1197(8)

【源氏物語】より


︿︿︿︿

【古来風体抄】より


︿2

【千載和歌集】より


20()1183(寿2)88(4)

【短歌】より

…自然および社会の秩序に絶対的な信頼をよせる明快な世界観および明晰な言語観は,その切れ味のよい理知性とともに以後の短歌の規範とされたのであった。その後,《後撰和歌集》《拾遺和歌集》以下次々と勅撰集が出され,曾禰好忠(そねのよしただ),源経信,源俊頼らが用語,素材などにおいて革新的な立場をとって保守派と対立することで歌壇は活気づいたが,やがて藤原俊成が登場して新旧両派の歌風を統一,中世短歌の土台を築くのであった。なお,中古の時代に入って,上句(5・7・5)と下句(7・7)とが分離する傾向が見えはじめ,いわゆる七五調が優勢になってくる。…

【長秋詠藻】より

藤原俊成の家集。1178年(治承2)3月に自撰し,仁和寺守覚法親王に奉った。…

【深草】より


 

 ()︿()(西)

【細み】より


︿便()︿︿︿︿︿

【本歌取り】より


︿()

【御裳濯河歌合】より


1187(3)西7236西()

【幽玄】より

…日本では,仏典などの用例以外,《古今集》真名序に〈興入幽玄〉とあるのが文学的用例としての初出。以後,〈此体,詞雖凡流,義入幽玄〉(《忠岑十体》高情体),〈義以通幽玄之境〉(《中宮亮顕輔歌合》基俊判),〈余情幽玄体〉(《作文大体》)など,しだいに余情美への傾斜を示す用例を経て,中世初頭,藤原俊成が歌合判詞類に14例用いるにおよび,重要な歌学用語となった。その内容については諸説あるが,心細く寂しい美や優艶美さらに長高美などの複合した,縹渺(ひようびよう)とした余情美の性質を示すだけでなく,対象に深く浸透する表現態度をも内包する。…

【六百番歌合】より

…《後京極殿百首歌合》《左大将家百首歌合》ともいう。作者は左が,藤原良経・同季経・同兼守・同有家・同定家・顕昭,右が,藤原家房・同経家・同隆信・同家隆・慈円・寂蓮の計12人,判者は藤原俊成。各人が春15首・夏10首・秋15首・冬10首・恋50首の百題百首を詠進し,それを600番に結番した百首歌形式の歌合。…

※「藤原俊成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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