河野常吉(読み)こうの・つねきち

朝日日本歴史人物事典 「河野常吉」の解説

河野常吉

 
5.9.3(1930)
2.11.22(1863.1.11)
(),,14(1881),2,,,,,,,,27,調,3134,,,,,,沿,,調,(190121,123),,(1911),,,50,7(1918)1(),,(1975,),13調,,,,<参考文献>
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「河野常吉」の意味・わかりやすい解説

河野常吉
こうのつねきち
(1862―1930)

北海道史の研究家。文久(ぶんきゅう)2年11月22日信濃(しなの)国(長野県)に生まれる。1879年(明治12)松本師範学校を卒業、福島学校長を経て81年に上京、慶応義塾に学ぶ。卒業後、秋田県小真木(こまき)鉱山、養蚕業、新聞社、長野県庁、東京中央気象台などを転々とし、94年渡道して北海道庁嘱託となり、拓殖関係の調査報告編纂(へんさん)に従事した。道内の開拓地を調査した『北海道殖民状況報文』をはじめ『殖民公報』『移住者成績調査』などを編纂し、「北海道の生き字引」といわれた。1915年(大正4)、開道50年を記念する『北海道史』の編纂主任となったが、執筆内容で当局と対立し、事業は中絶した。しかし河野により前近代の北海道史の体系化がなされた。

[桑原真人]

『『河野常吉著作集』全5巻(1974~75・北海道出版企画センター)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野常吉」の解説

河野常吉 こうの-つねきち

1863*-1930 明治-昭和時代前期の歴史家。
文久2年11月22日生まれ。河野広道の父。慶応義塾にまなぶ。新聞社などに勤務ののち,明治27年北海道庁嘱託。北千島,樺太(からふと)を実地調査し,「殖民公報」などを編集。大正4年開道50年記念の「北海道史」編纂(へんさん)主任となり,道史の体系化をはかった。後継者に高倉新一郎。昭和5年9月3日死去。69歳。信濃(しなの)(長野県)出身。松本師範卒。

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