洋務運動(読み)ヨウムウンドウ(英語表記)Yáng wù yùn dòng

デジタル大辞泉 「洋務運動」の意味・読み・例文・類語

ようむ‐うんどう〔ヤウム‐〕【洋務運動】

中国で、19世紀後半、朝の漢人官僚によって推進された近代化政策。西洋軍事技術の導入、官営軍事工場の設立などによって、清朝の衰退の回復を図った。

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精選版 日本国語大辞典 「洋務運動」の意味・読み・例文・類語

ようむ‐うんどうヤウム‥【洋務運動】

 

(一)退
 

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改訂新版 世界大百科事典 「洋務運動」の意味・わかりやすい解説

洋務運動 (ようむうんどう)
Yáng wù yùn dòng


19西︿1828-97西西

 186111W.Martin

11865468J.FryerA.Wylie西

282綿10綿5%94201873沿80調

31866186718801886187318787214120771845-1900

 7194

 801858-1914


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百科事典マイペディア 「洋務運動」の意味・わかりやすい解説

洋務運動【ようむうんどう】

 
19西()()18721874187818781890189018911895西
西  

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「洋務運動」の解説

洋務運動(ようむうんどう)


1860西西()()()65()66()72()748878()()909091()90西

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「洋務運動」の意味・わかりやすい解説

洋務運動
ようむうんどう

中国、清(しん)末の1860年ごろから90年代まで行われた、ヨーロッパの近代技術を取り入れ、中国の自強を図ろうとした運動。太平天国の乱を鎮圧するのに力のあった曽国藩(そうこくはん)、李鴻章(りこうしょう)、左宗棠(さそうとう)らの漢人大官僚、および恭親王奕訢(きょうしんおうえききん)らの洋務派と総称されるグループが中心になって推し進めた。「自強」と「求富」がスローガンであった。最初、軍事工業部門から始まり、70年代には官督商弁(官民合営)方式がとられて民間企業部門にも広がった。85年以降、洋務派は海軍部門を握り、北洋海軍も創設した。洋務運動の結果、確かに、太平天国の乱などで動揺した清朝の支配を一時的には立ち直らせることができた。しかし根本的な解決にはならず、清仏戦争(1884~85)、日清戦争(1894~95)の敗戦を経て洋務運動の破産は決定的なものになった。

 洋務運動の評価に関しては、それが中国の民族産業の発展を阻害したという説と、推進側の主観的な意図とは別に、客観的には中国における資本主義発展の基礎をつくりだしたという説に分かれ、いまなお論争中である。

[倉橋正直]

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旺文社世界史事典 三訂版 「洋務運動」の解説

洋務運動
ようむうんどう

 
1860
西 ()  ()  ()  () 西  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「洋務運動」の意味・わかりやすい解説

洋務運動
ようむうんどう

洋務派」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の洋務運動の言及

【清】より


()使 (189495)23000()3

【中国科学】より


︿

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