精選版 日本国語大辞典 「清原頼業」の意味・読み・例文・類語 きよはら‐の‐よりなり【清原頼業】 (一)平安後期の漢学者。祐隆の子。明経道に学び、正五位上大外記に至る。はじめ藤原頼長に近侍して経学を講じ、のち藤原兼実に信任され、実務官僚として活躍した。著作に﹁長寛勘文﹂がある。保安三~文治五年︵一一二二‐八九︶ 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「清原頼業」の意味・わかりやすい解説 清原頼業 (きよはらのよりなり)生没年:1122?-89(保安3?-文治5) 平安末・鎌倉初期の学者。祐隆の子。14歳で学問に志し,大学を経て,直講,助教,大外記,明経博士などを歴任し,没するまでの24年間,局務の地位にあった。初め藤原頼長の知遇を得て,しきりに催される経書の講論に参加し,ことに︽春秋左氏伝︾を得意とし,彼の訓点を加えた︽春秋経伝集解︾が残る。後年には九条兼実の信任を得て,記録所寄人となりしばしば政策遂行に関して諮問を受けている。その政治理念は儒教的合理主義で,1163-64年︵長寛1-2︶の伊勢神宮と熊野権現とが同体か否かについての長寛勘文事件などによく発揮されている。またその立場から院政に対しては批判的姿勢を貫いた。卓越した学識と実務能力とを兼ね備え明経道︵みようぎようどう︶における清原氏の地位を確固たるものにし,紀伝道の下位に甘んじてきた明経道が,有用の学として隆盛に向かうのに大きく貢献した。没後,京都嵯峨の車折︵くるまさき︶明神としてまつられた。 執筆者‥後藤 昭雄 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
朝日日本歴史人物事典 「清原頼業」の解説 清原頼業 没年‥文治5.閏4.14(1189.5.30) 生年‥保安3(1122) 平安時代後期院政期の儒学者。大外記清原祐隆の子。康治1(1142)年少外記に任じ,久安6(1150)年直講,保元1(1156)年記録所寄人・助教,仁安1(1166)年ごろ大外記となり,動乱期の局務に当たるが,この間藤原頼長に認められて彼の講論の一員に加わり,頼長の長子兼長の師となった。安元1(1175)年明経博士,治承3(1179)年高倉天皇侍読。保元の乱(1156)後一時逼塞したが,九条兼実の信任を得て,兼実が文治1(1185)年内覧,2年摂政となるや彼を補佐し,3年記録所復活とともに寄人となり,後白河院の院宣により政策を上奏した。﹃春秋経伝集解﹄など,彼の訓説を伝えるもの多く,経学史上重要な人物でもある。明経道家の中興の祖として仰がれ,京都車折神社に祀られる。<参考文献>向居淳郎﹁清原頼業﹂(﹃日本史研究﹄3号),和島芳男﹁清原頼業論﹂(﹃大手前女子大学論集﹄5号) (山崎誠) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「清原頼業」の意味・わかりやすい解説 清原頼業きよはらのよりなり(1122―1189) 平安後期の漢学者。14歳で学に志して家業を継ぎ、少外記(げき)、大外記、穀倉院別当などに任ぜられ正五位上に上る。大外記の労は24年に及び、和漢にわたる学識と実務の手腕は当代無比といわれた。早くから藤原頼長(よりなが)に認められて﹃春秋左氏伝﹄を講義し、晩年は藤原兼実(かねざね)の眷顧(けんこ)を被って政治の諮問にあずかり、その子供に講書を依頼された。また、明経(みょうぎょう)道の復興に力があり、死後車折(くるまさき)明神として祀(まつ)られたが、その学識は﹃礼記(らいき)﹄から﹃中庸(ちゅうよう)﹄を独立させたのは頼業であるという誤伝を生んだほどである。 ﹇大曽根章介﹈ 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清原頼業」の解説 清原頼業 きよはらの-よりなり 1122-1189 平安後期-鎌倉時代の儒者。保安(ほうあん)3年生まれ。家学の明経(みょうぎょう)道をつぐ。治承(じしょう)3年高倉天皇の侍読,文治(ぶんじ)3年記録所寄人。学識と政治手腕の持ち主として知られ,摂政九条兼実(かねざね)を補佐して,後白河院に政策を上奏する。文治5年閏(うるう)4月14日死去。68歳。のち清原家中興の祖として京都嵯峨(さが)の車折(くるまさき)神社にまつられた。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「清原頼業」の意味・わかりやすい解説 清原頼業きよはらのよりなり [生]保安3(1122) [没]文治5(1189).閏4.14. 平安時代後期の儒者。祐隆の子。初名顕長。藤原頼長,九条兼実らの知遇を受け,大外記,明経博士となり,明法を兼学した。高倉天皇侍読。﹁国の大器﹂と称された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報