留守居(読み)ルスイ

デジタル大辞泉 「留守居」の意味・読み・例文・類語

るす‐い〔‐ゐ〕【留守居】

 
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精選版 日本国語大辞典 「留守居」の意味・読み・例文・類語

るす‐い‥ゐ【留守居】

 

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改訂新版 世界大百科事典 「留守居」の意味・わかりやすい解説

留守居 (るすい)


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「留守居」の意味・わかりやすい解説

留守居
るすい

江戸幕府、諸藩にみられる職名。幕府には大留守居、留守居、留守居番の別があった。大留守居は常置の職とはいいがたく、門閥の譜代(ふだい)大名をもって任じ、1701年(元禄14)に稲葉正通(まさみち)が老中に転出したあと廃止になった。留守居は留守居年寄とも称し、定員4~6人、5000石高、諸大夫(しょだいふ)、芙蓉間(ふようのま)、老中支配、各与力10騎、同心50人が付属した。奥向きの取締り、諸国の関所女切手(おんなきって)、府内見附門(ふないみつけもん)の預りなど管掌事項は各方面にわたり、そのため多くの役職を配下に置いた。また小普請(こぶしん)組を支配したこともあった。1719年(享保4)に小普請支配が置かれてのちは200石以下の士のみを支配し、1753年(宝暦3)以後はすべての士が小普請支配に移った。留守居番は定員5~6人、1000石高、布衣(ほい)、中之間(なかのま)、老中支配、各与力6騎、同心20人が付属し、おもに城内の警衛、奥向きのことなどを管掌した。留守居、留守居番ともに西丸などにもあった。

 諸藩には、藩主不在のときに居城または江戸藩邸をあずかる留守居(幕府の留守居にあたる)のほかに、聞番(ききばん)、公儀人(こうぎにん)、城使(じょうし)、城役(しろやく)あるいは留守居などと称し、江戸藩邸にあって幕府と藩との間の連絡、交渉にあたり、他藩の動向を探ることを管掌した、いわゆる大名留守居があった。

[北原章男]

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百科事典マイペディア 「留守居」の意味・わかりやすい解説

留守居【るすい】

(1)江戸幕府の職名。奥年寄ともいい,城主格の待遇を受け旗本のつく最高の職とされた。大奥の監督,関所の女手形の事務などを担当し,将軍が外出した際,城中の留守警備の責任を負った。(2)江戸時代の大名諸家で江戸屋敷や大坂蔵屋敷ほかの出先屋敷に設けられた役職。初期には家老級の家臣が任じられ,藩主不在の折に当該屋敷の守衛や内外事務諸般を統轄した。寛永(1624年―1644年)ころから平生の幕府との折衝,他藩との交渉などは家老クラスの留守居は行わなくなり,渉外事務専門の聞役(ききやく)・聞番(ききばん)とよばれる役職を置くようになった。この聞役・聞番をのち一般に留守居と称した。なお諸家の留守居は情報交換を目的として様々なグループをつくり,定期的に会合などを開いた。このグループを留守居組合(るすいくみあい)という。
→関連項目小普請

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旺文社日本史事典 三訂版 「留守居」の解説

留守居
るすい

江戸時代,幕府・諸藩の職名
①幕府の留守居は,老中支配に属し,大奥の取締り,将軍出行の際の留守守衛などを行った。旗本が任ぜられた最高役職。
②諸藩の留守居は,江戸藩邸を預かり,幕府との交渉や藩相互間の交際などにあたった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「留守居」の意味・わかりやすい解説

留守居
るすい

江戸時代の幕府,諸藩の職名。幕府の留守居は将軍出行の際の城中留守警備を任務とし,諸藩のは江戸に常駐して江戸留守居と呼び,幕府と藩の公務連絡,他藩との交際連絡を任務とした。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「留守居」の解説

留守居
るすい

大名留守居(だいみょうるすい)

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世界大百科事典(旧版)内の留守居の言及

【勘定奉行】より

…1635年幕府は年寄(老中)以下主要役職の管掌事項を制定したが,関東幕領と農民の訴訟は松平正綱,伊丹康勝,伊奈忠治,大河内久綱,曾根吉次の5人に月番による勤務を命じ,これがのちの勘定奉行の職掌とされる。42年金銀納方を職務の一つとしていた留守居のうち酒井忠吉・杉浦正友が国用査検,曾根吉次・酒井・杉浦・伊丹康勝が租税財穀出納を命じられ,伊奈忠治が勘定頭をゆるされた。この時点で農政部門と財政経理部門が合一し,留守居兼務の職務も勘定頭に一元化して勘定頭制が成立し,同時に伊奈は事実上の関東郡代となった。…

【蔵屋敷】より



【家守】より



※「留守居」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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