菟道稚郎子(読み)ウジノワキイラツコ

デジタル大辞泉 「菟道稚郎子」の意味・読み・例文・類語

うじ‐の‐わきいらつこ〔うぢ‐〕【菟道稚郎子】

 
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精選版 日本国語大辞典 「菟道稚郎子」の意味・読み・例文・類語

うじのわきいらつこうぢのわきいらつこ【菟道稚郎子】

 

(一)()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「菟道稚郎子」の意味・わかりやすい解説

菟道稚郎子 (うじのわきいらつこ)


寿

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菟道稚郎子」の意味・わかりやすい解説

菟道稚郎子
うじのわきいらつこ

 
4403  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「菟道稚郎子」の意味・わかりやすい解説

菟道稚郎子
うじのわきいらつこ

生没年不詳。応神(おうじん)天皇の皇太子。母は和珥臣(わにのおみ)の祖日触使主(ひふれのおみ)の女宮主宅媛(むすめみやぬしやかひめ)(『古事記』では矢河枝比売(やかわえひめ))。百済(くだら)から来朝した阿直岐(あちき)、ついで渡来した王仁(わに)についてもろもろの典籍を学び、通達せざるなしといわれた。天皇は長子大山守命(おおやまもりのみこと)、中子大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)よりも弟の菟道を愛し、後嗣(こうし)にしようとした。天皇の崩後、菟道は大鷦鷯に位を譲ろうとし、互いに譲り合い、その間、位をねらう大山守を大鷦鷯が殺した。菟道は自殺して大鷦鷯に譲ったため、大鷦鷯が仁徳(にんとく)天皇として即位した。

[横田健一]

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朝日日本歴史人物事典 「菟道稚郎子」の解説

菟道稚郎子

生年:生没年不詳
応神天皇の皇子。母は和珥氏の宮主宅媛。『日本書紀』によると,百済から来日した阿直岐,王仁に学んで漢籍に通暁し,高句麗王の手紙を読んでその無礼を咎めたという。父応神に特に愛され,兄たちをさしおいて太子になったが,父の死後,兄(のちの仁徳天皇)に位を譲る。しかし兄も固辞して受けず,譲り合いが3年にもおよんだので,ついに自殺して兄を位に就けたという。儒教的聖君子として描かれている。しかし一方この皇子には,皇位を奪おうと兵をあげたもうひとりの兄大山守皇子を,策略を使って討ち取る話も伝えられている。宇治市の宇治上神社は皇子の居住した宮跡と伝える。『万葉集』巻9人麻呂歌集中に挽歌がある。

(溝口睦子)

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百科事典マイペディア 「菟道稚郎子」の意味・わかりやすい解説

菟道稚郎子【うじのわきいらつこ】

 
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菟道稚郎子」の解説

菟道稚郎子 うじのわきいらつこ

 

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旺文社日本史事典 三訂版 「菟道稚郎子」の解説

菟道稚郎子
うじのわきいらつこ

生没年不詳
大和時代,5世紀ころの皇族
応神天皇の皇子。百済 (くだら) からの渡来人阿直岐 (あちき) ・王仁 (わに) について初めて経典(儒教)を学んだ。皇太子となったが異母兄大鷦鷯尊 (おおささぎのみこと) (のちの仁徳天皇)に皇位を譲るため自害したという。

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