日本歴史地名大系 「虹の松原」の解説 虹の松原にじのまつばら 佐賀県:東松浦郡虹の松原 唐津市から浜玉町にかけて唐津湾に臨む海浜に、長さ約五キロ、幅五〇〇―六〇〇メートルにわたり黒松が群生する。この松原は藩政期には御(おん)松(まつ)原(ばら)とよばれ、また二(にり)里(のま)の(つ)松(ば)原(ら)ともよばれた。 文禄二年︵一五九三︶寺沢志摩守広高が唐津藩主に任ぜられると、この砂丘に防風防潮のため黒松を植林した。以来育成に努め、元和二年︵一六一六︶の検地帳には背後地が作地としてあげられているので、その頃までに松原として役立つようになっていたと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「虹の松原」の意味・わかりやすい解説 虹の松原にじのまつばら 玄界灘(げんかいなだ)に面する唐津湾(からつわん)の湾奥部、松浦潟(まつらがた)の砂丘列に連なる松原。佐賀県唐津市にある。三保松原(みほのまつばら)、天橋立(あまのはしだて)とともに日本三大松原の一つといわれ、国の特別名勝。東西の長さ約5キロメートル、南北の幅はだいたい400~600メートル。クロマツ林をなし、その本数は100万本にも及ぶという。初代の唐津藩主寺沢志摩守広高(てらさわしまのかみひろたか)が、防風・防砂林などとして、元の自然林にさらに植林を加えたものと伝える。1771年︵明和8︶唐津藩の百姓・漁師が連合し、藩主水野氏に対して一揆(いっき)を起こし集結した所としても知られる︵虹の松原一揆︶。松原の中を県道347号︵虹の松原線︶が通り抜け、松原の南縁をJR筑肥(ちくひ)線が通じる。排気ガス、松くい虫、ニセアカシア、さらに海岸侵食や建物の蚕食などがみられ、それらの対策に迫られる。玄海国定公園の一角で、背後の鏡(かがみ)山︵284メートル︶からの眺望は絶景で、眼下に虹の松原が弧を描く。海浜は東の浜海水浴場で知られ、ホテル、国民宿舎、キャンプ場などがある。 ﹇川崎 茂﹈ [参照項目] | 鏡山 | 唐津藩 | 唐津湾 | クロマツ | 玄海国定公園 虹の松原 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル大辞泉プラス 「虹の松原」の解説 虹の松原 佐賀県北部、唐津湾の松浦潟沿いに、長さ約5km、面積約230ヘクタールにわたって広がる松林。玄海国定公園に属し、特別名勝に指定された白砂青松の景勝地。古くはその長さ︵約8km︶から﹁二里の松原﹂などと呼ばれたが、弧を描く形状を虹に例えて現在の名で呼ばれるようになった。 出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
事典・日本の観光資源 「虹の松原」の解説 虹の松原 (佐賀県唐津市)「21世紀に残したい日本の自然100選」指定の観光名所。 虹の松原 (佐賀県唐津市)「さが天下逸品 佐賀百選」指定の観光名所。 虹の松原 (佐賀県唐津市)「日本の白砂青松100選」指定の観光名所。 虹の松原 (佐賀県唐津市)「森林浴の森100選」指定の観光名所。 虹の松原 (佐賀県唐津市)「日本の道100選」指定の観光名所。 虹の松原 (佐賀県唐津市)「日本三大松原」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報