日本歴史地名大系 「西郷湊」の解説
西郷湊
さいごうみなと
[現在地名]西郷町西町など
江戸時代、西郷湾にあった湊。東湾は上り間で上り船が寄港し、西方の現高たか井い地区は下り船が寄る下り間であった。その具体的な様相は未詳であるが、八や尾び町・目めぬ貫き町・宇う屋や町を西郷と称したので、この三ヶ所が用いる湊の総称であろう。﹁隠州視聴合紀﹂に南浦︵下り間か︶・北浦︵上り間か︶が記され、﹁商舶輻輳するの所なり﹂﹁海門纔に二町ばかり、故に此内に五百艘を納れて猶余あり、疾風高波ある事を知らず、北海第一の津口なり﹂と記している。
貞享五年︵一六八八︶の﹁増補隠州記﹂の矢尾村の項によれば、西郷の御みさ崎きは一千艘の大船をもつなぐことができるほどの湊で、大船二一・手安船五六があり、磯では鮑・栄螺・和布・荒和布がとれ、漁は鯛・鰤・鯖・烏賊・飛魚・鮑・生海鼠・和布・荒和布・海苔などで、漁労のほか廻船を家業としたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報