改訂新版 世界大百科事典 「超昇寺」の意味・わかりやすい解説 超昇寺 (ちょうしょうじ) 奈良市にあった寺。超勝寺とも書く。平城天皇の皇子高丘︵たかおか︶親王︵出家して法名を真如︵しんによ︶という︶が,835年︵承和2︶楊梅︵やまもも︶宮の跡地をたまわって創建した。10世紀の末,興福寺の清海がこの寺に住み,7日間の大念仏︵超昇寺大念仏︶を始め,極楽浄土の曼荼羅をえがいた。これを︿清海曼荼羅﹀といい,日本の浄土三曼荼羅の一つに数えられている。中世の戦乱により衰退し,江戸初期にはわずかに堂1宇を残すのみとなり,隆光が復興につとめたが,ついに廃絶した。 執筆者‥中井 真孝 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「超昇寺」の意味・わかりやすい解説 超昇寺ちょうしょうじ 奈良県生駒(いこま)郡都跡(みあと)村︵現奈良市︶にあった廃寺。超勝寺とも書く。835年︵承和2︶真如(しんにょ)法親王の創建。正暦(しょうりゃく)年間︵990~995︶清海(せいかい)が当寺に入って念仏堂を建立し、超昇寺大念仏を始め、清海曼荼羅(まんだら)として有名な浄土変相(へんそう)をつくって安置した。その後、寺門大いに栄えたが、1459年︵長禄3︶の被災後しだいに衰えた。1709年︵宝永6︶護持院隆光(ごじいんりゅうこう)が隠棲(いんせい)し復興に努めたが、のちついに廃絶した。 ﹇若林隆光﹈ 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例