デジタル大辞泉 「郡内」の意味・読み・例文・類語 ぐんない【郡内】 山梨県東半部の古称。富士吉田市・都留市・大月市を含む一帯。郡内織の産地。 ﹁郡内織﹂﹁郡内縞﹂の略。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「郡内」の意味・読み・例文・類語 ぐん‐ない【郡内】 (一)[1] 〘 名詞 〙 (一)① 郡の区域内。領内。 (一)[初出の実例]﹁而政義以二当国南部惣地頭職一、称在二郡内一、押二領件郷一﹂(出典‥吾妻鏡‐文治元年︵1185︶八月二一日) (二)② ﹁ぐんないおり︵郡内織︶﹂の略。 (一)[初出の実例]﹁紺に欝金(うこん)に浅黄に鹿の子、地紅や地むらさき、けんたいぐんない鳶八丈﹂(出典‥歌謡・松の葉︵1703︶二・花見) (二)[2] ﹁ぐんないちほう︵郡内地方︶﹂の略。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「郡内」の解説 郡内ぐんない 山梨県:総論郡内 都(つ)留(る)郡一帯をいう。﹁勝山記﹂は天文二一年︵一五五二︶正月二五日の小山田信有の葬儀の模様を、﹁郡内一番ノ御訪被成候﹂と記している。小山田氏は武蔵多摩郡小(おや)山(ま)田(だ)庄︵現東京都町田市︶の出身で、南北朝―室町期に甲斐国守護武田信満と婚姻関係を結んで武田氏とつながり、一時離反したが戦国期には再び武田信虎と結んだ。信虎妹を母とする信有、その子信茂は、武田氏のもとで多くの軍功をあげた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「郡内」の意味・わかりやすい解説 郡内ぐんない 山梨県東半部の地方名。相模(さがみ)川の上流桂川(かつらがわ)流域の地域と、富士北麓(ほくろく)および多摩川最上流部丹波山(たばやま)、小菅(こすげ)村などを含み、現在の北・南都留(つる)郡の2郡と富士吉田、都留、大月の3市の地域をさす。郡内の語源は戦国時代の都留郡領主小山田氏(おやまだうじ)が自郡の意味に郡内と書いたのがそのおこりといわれ、のちに甲州が9筋2領に分けられたとき、郡内領と正式によばれるようになった。山がちで耕地に乏しく、高冷地が多かったので養蚕や郡内織︵甲斐絹(かいき)︶が各農家で行われていたが、とくに17世紀のころ領主秋元氏の奨励によって機業地として全国有数の産地となり、郡内機業の名で知られるようになった。18世紀になるとこの地方も天領に編入され、明治まで谷村(やむら)︵都留市︶に石和(いさわ)代官所の出張陣屋が置かれ、統治された。 ﹇横田忠夫﹈ [参照項目] | 国中 | 甲州一揆 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
百科事典マイペディア 「郡内」の意味・わかりやすい解説 郡内【ぐんない】 山梨県東部,富士吉田・都留(つる)・大月3市と南都留・北都留2郡の地域。大部分は山地で,桂川の河岸段丘上に集落が集中する。耕地に乏しく古くから養蚕を主業とし,家内工業による製糸,絹織物︵甲斐絹(かいき)︶生産が発達した。現在は人絹織物工業も行われ,八端(はったん),服裏地,洋傘地を多産。 →関連項目桂川︵山梨︶ 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「郡内」の意味・わかりやすい解説 郡内ぐんない 山梨県東部の桂川流域をさす地方名。御坂山地および秩父山地の大菩薩連嶺で,甲府盆地を中心とする国中とへだてられる。秩父山地,丹沢山地,富士山の北斜面で占められ,わずかに富士山北東麓と桂川の河岸段丘上に平坦地が開ける。甲斐絹 (かいき) の産地として知られる。富士吉田市,都留市,大月市が中心都市。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
デジタル大辞泉プラス 「郡内」の解説 郡内 山梨県、郡内地方の伝統的な紬の織物「郡内海貴(甲斐絹)」の略称。郡内織とも。布団生地に多く用いられたことから、この生地を用いた布団そのものを指すこともある。 出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報