イギリス,ピューリタン革命で主要な役割を演じた議会。戦費に窮したチャールズ1世が〈短期議会〉の失敗後,その第5議会として1640年11月招集した。以後53年から59年までの中断期を除いて,60年までつづいたため,〈長期議会〉とよばれた。開会直後から長期議会は,国王の専制の責任を追及し,その再現を防止するための改革を満場一致で遂行したが,国王から軍事権と宗教権を奪取せんとした〈大抗議文〉の採択を契機に1641年末分裂し,内乱となった。内乱において議会は,軍事・行政・財政の機構を整え,革命派の中央機関として機能した。しかしやがて長老派と独立派の抗争の舞台となり,48年12月,軍隊をおさえた独立派によって長老派議員は追放され(プライド・パージ),当初500人ほどあった下院の構成員はわずか60人ほどになり,ランプ(残部)議会とよばれた。この議会が国王処刑を準備し,また一院制共和国の主体となった。53年4月クロムウェルによって武力解散されいったん消滅したが,護国卿政権崩壊後の59年5月にランプ議会が復活し,翌年2月には追放された長老派議員も復帰した。しかし60年3月,王政復古のための仮議会にその地位を譲って自発的に解散した。
執筆者:今井 宏
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イギリスのピューリタン革命の主な闘争舞台となった議会。1640年11月召集,プライドの追放ののちランプ議会と呼ばれるようになったが,53年4月まで続いたのでこの名が生じた。59年から翌年にかけて復活した。
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…チャールズ1世は以後11年間議会を開かずに専制政治を行ったが,37年船舶税の徴収範囲を広げて訴訟をうけ,また同年スコットランドに国教会の祈禱書と儀式を強制して,激しい抵抗にあった。40年対スコットランド戦争の戦費の協賛を求めてやむをえず開いた2度目の議会(長期議会)が,ピューリタン革命の主要な舞台となった。長期議会はただちに専制支配機構を打破し王権を制限するための改革を次々にほぼ満場一致で実現したが,国王の宗教権・軍事権を議会が掌握しようとしたことを契機にして,それまでの反絶対王政統一戦線は分裂し,42年秋から議会派と国王派の間に内乱が戦われた。…
…しかし越境してきたスコットランド軍への賠償金支払いのため,同年秋再度議会を開いた。これがピューリタン革命の主要な舞台となった長期議会である。 議会はただちに改革に着手し,国王大権の恣意的な行使を許さぬ法的措置を講じ,国王もこれを認めた。…
…スコットランド軍は越境して侵入し,国王は賠償金の支払を約して和を結ばざるをえなかった。その財源を求めて40年11月召集されたのが〈長期議会〉である。
[改革と内乱]
長期議会はJ.ピムを指導者にしてただちに改革に着手した。…
※「長期議会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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