1600年(慶長5)9月、徳川家康の率いる東軍と、石田三成(みつなり)を中心とする西軍によって、美濃(みの)国関ヶ原(岐阜県不破(ふわ)郡関ヶ原町)で行われた「天下分け目」の戦い。
[岡本良一]
家康は機嫌の悪いときには爪をかむ癖があったが、この日も勝敗の帰趨(きすう)が定まらなかった午前中、しきりに爪をかんでいらいらしていた。しかし午後になって、かねて内応を約しながらも、去就を明らかにせず形勢を観望していた小早川秀秋が、家康からの厳しい催促にようやく寝返りを決し、にわかに大谷隊の側背に攻撃をしかけたのを境に、西軍はみるみる総崩れとなり、午後4時ごろ東軍の地すべり的大勝が決定した。三成は伊吹山(いぶきやま)に逃れたが潜伏中を捕らえられ、後日、小西行長、安国寺恵瓊らとともに京都で斬(き)られたほか、西軍の主将として大坂城にあった毛利輝元は安芸(あき)(広島県)など9か国112万石から周防(すおう)、長門(ながと)(山口県)2か国36万石に大減封されるなど、西軍に加わった諸大名は取潰(とりつぶ)し、減封などいずれも厳しい処分を受けた。それに伴い豊臣秀頼(ひでより)も摂津、河内(かわち)、和泉(いずみ)(兵庫県、大阪府)で65万石の一大名に成り下がり、徳川氏の覇権が事実上確立するに至った。
[岡本良一]
『旧参謀本部編『日本の戦史 6 関ヶ原の役』(1965・徳間書店)』▽『桑田忠親編『日本の合戦 7』(1978・新人物往来社)』▽『松好貞夫著『関ヶ原役――合戦とその周辺』(1964・人物往来社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...
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