精選版 日本国語大辞典 「駒場」の意味・読み・例文・類語 こまば【駒場】 (一)[ 一 ] 東京都目黒区北西端の地名。江戸時代、幕府の馬の調教場があったところから呼ばれた。東京大学教養学部︵旧制第一高等学校︶・日本近代文学館などがある。 (二)[ 二 ] 旧制第一高等学校の、昭和九年︵一九三四︶に本郷から駒場[ 一 ]に移ってからの俗称。また東京大学教養学部の俗称。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「駒場」の解説 駒場こまば 東京都:目黒区上目黒村駒場 現目黒区の北端部にあたる。もとは荏(えば)原(ら)郡目黒町上目黒の小字地名で、昭和七年︵一九三二︶の目黒区成立の際に駒場町ができ、同四三年からの住居表示の施行で駒場一―四丁目に改められた。駒場野といわれてきた原野には明治一一年︵一八七八︶に駒場農学校が開校され、明治中期から近衛輜重兵学校や騎兵連隊などが設けられた。駒場農学校はオスカー・ケンネルらドイツ人お雇い教師らの指導の下に、わが国近代農学の発展に貢献。同一九年に東京農林学校、翌年には帝国大学の農科大学︵のちの東京大学農学部︶となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「駒場」の意味・わかりやすい解説 駒場こまば 東京都目黒区北西端の地区。京王電鉄井の頭線︵駒場東大前駅︶が通る。かつて武蔵野(むさしの)台地上の原野で、駒場野ともいわれ、江戸時代は幕府の馬の調教場があったことが地名の由来。また、将軍の鷹(たか)狩場でもあった。1878年︵明治11︶駒場農学校が開設され、その後、東京帝国大学農学部、第一高等学校とかわり、現在では東京大学教養学部となっている。近くに日本近代文学館、国の重要文化財に指定されている旧前田家本邸︵洋館は1967~2002年東京都近代文学博物館︶と同じく尊経閣文庫のある駒場公園があり、その南に日本民芸館もある。 ﹇沢田 清﹈ [参照項目] | 駒場農学校 | 東京大学 | 日本近代文学館 | 目黒(区) 日本民芸館 民芸運動の提唱者柳宗悦を中心とする同志により企画された美術館。1936年︵昭和11︶創設。陶磁器や織物をはじめとする工芸品、民具のほか、絵画、彫刻など、約1万7000点を収蔵する。写真は西館長屋門。東京都目黒区©Yutaka Sakano"> 日本民芸館 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
百科事典マイペディア 「駒場」の意味・わかりやすい解説 駒場【こまば】 東京都目黒区駒場1〜4丁目地区。京王電鉄井の頭線駒場東大前駅がある。江戸時代は幕府の狩場に利用された原野であったが,明治以後住宅地として発達。東大教養学部︵旧一高︶,日本民芸館,日本近代文学館などがある。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「駒場」の意味・わかりやすい解説 駒場こまば 東京都目黒区北端の地区。東京大学教養学部,都立駒場公園や日本近代文学館,都立近代文学博物館などがあり,南部は住宅地。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報