Category: 月別観た映画と読んだ本
今月観た映画と読んだ本(2018年2月)
観た映画
「ジェイソン・ボーン」(DVD)
2016年アメリカ 監督/脚本:ポール・グリーングラス 出演:マット・デイモン/ジュリア・スタイルズ/アリシア・ヴィキャンデル/ヴァンサン・カッセル/トミー・リー・ジョーンズ/リズ・アーメッド/アトー・エッサンドー/スコット・シェパード/ビル・キャンプ
「グッバイ、サマー」(DVD)
2015年フランス 監督/脚本:ミシェル・ゴンドリー 出演:アンジュ・ダルジャン/テオフィル・バケ/ディアーヌ・ベニエ/オドレイ・トトゥ/ヴァンサン・ラムルー/アガット・ペニー/ダグラス・ブロッセ
「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」(DVD)
2014年フランス 監督/脚本:マリー・カスティーユ・マンシオン・シャール 出演:アリアンヌ・アスカリッド/アハメッド・ドゥラメ/ノエミ・メルラン/ジュヌヴィエーヴ・ムニシュ/ステファン・バック
「ミスター・ノーボディ」(BS)
1973年イタリア 監督:トニーノ・ヴァレリー 出演:テレンス・ヒル/ヘンリー・フォンダ/ジャン・マルタン/ピエロ・ルッリ/レオ・ゴードン
「マグニフィセント・セブン」(DVD)
2016年アメリカ 監督:アントワーン・フークア 出演:デンゼル・ワシントン/クリス・プラット/イーサン・ホーク/イ・ビョンホン/ヴィンセント・ドノフリオ/ピーター・サーズガード/ヘイリー・ベネット
「白い沈黙」(DVD)
2014年カナダ 監督/脚本:アトム・エゴヤン 出演:ライアン・レイノルズ/スコット・スピードマン/ロザリオ・ドーソン/ミレイユ・イーノス/ケヴィン・デュランド/アレクシア・ファスト
「フェンス」(DVD)
2016年アメリカ 監督:デンゼル・ワシントン 出演:デンゼル・ワシントン/ヴィオラ・デイヴィス/スティーヴン・ヘンダーソン/ジョヴァン・アデポ/ラッセル・ホーンズビー/ミケルティ・ウィリアムソン
「マリアンヌ」(DVD)
2016年アメリカ 監督:ロバート・ゼメキス 出演:ブラッド・ピット/マリオン・コティヤール/リジー・キャプラン/マシュー・グード/アントン・レッサー/カミーユ・コッタン/アウグスト・ディール
読んだ本
「蔵書の苦しみ」(岡崎武志 エッセイ)
「文学はたとえば、こう読む」(関川夏央 書評)
「R.S.ヴィラセニョール」(乙川優三郎 現代小説)
「おもかげ橋」(葉室麟 時代小説)
「夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選」(野呂邦暢 エッセイ)
「諫早菖蒲日記・落城記」(野呂邦暢 時代小説)
「月の満ち欠け」(佐藤正午 現代小説)
「砂上」(桜木紫乃 現代小説)
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2016年アメリカ 監督/脚本:ポール・グリーングラス 出演:マット・デイモン/ジュリア・スタイルズ/アリシア・ヴィキャンデル/ヴァンサン・カッセル/トミー・リー・ジョーンズ/リズ・アーメッド/アトー・エッサンドー/スコット・シェパード/ビル・キャンプ
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2015年フランス 監督/脚本:ミシェル・ゴンドリー 出演:アンジュ・ダルジャン/テオフィル・バケ/ディアーヌ・ベニエ/オドレイ・トトゥ/ヴァンサン・ラムルー/アガット・ペニー/ダグラス・ブロッセ
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2014年フランス 監督/脚本:マリー・カスティーユ・マンシオン・シャール 出演:アリアンヌ・アスカリッド/アハメッド・ドゥラメ/ノエミ・メルラン/ジュヌヴィエーヴ・ムニシュ/ステファン・バック
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1973年イタリア 監督:トニーノ・ヴァレリー 出演:テレンス・ヒル/ヘンリー・フォンダ/ジャン・マルタン/ピエロ・ルッリ/レオ・ゴードン
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2016年アメリカ 監督:アントワーン・フークア 出演:デンゼル・ワシントン/クリス・プラット/イーサン・ホーク/イ・ビョンホン/ヴィンセント・ドノフリオ/ピーター・サーズガード/ヘイリー・ベネット
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2014年カナダ 監督/脚本:アトム・エゴヤン 出演:ライアン・レイノルズ/スコット・スピードマン/ロザリオ・ドーソン/ミレイユ・イーノス/ケヴィン・デュランド/アレクシア・ファスト
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2016年アメリカ 監督:デンゼル・ワシントン 出演:デンゼル・ワシントン/ヴィオラ・デイヴィス/スティーヴン・ヘンダーソン/ジョヴァン・アデポ/ラッセル・ホーンズビー/ミケルティ・ウィリアムソン
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2016年アメリカ 監督:ロバート・ゼメキス 出演:ブラッド・ピット/マリオン・コティヤール/リジー・キャプラン/マシュー・グード/アントン・レッサー/カミーユ・コッタン/アウグスト・ディール
読んだ本
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映画「マリアンヌ」
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前半はカサブランカ、後半はロンドンへと場所を移して繰り広げられるサスペンス・ドラマ、そしてラブストーリーである。 時代に翻弄される男女の物語は、まさにハリウッド映画の王道、華麗で壮大なドラマである。
時は1942年、仏領モロッコのカサブランカ。 カナダ空軍のパイロットで、英国情報部の工作員として働くブラッド・ピット演じるマックスと、フランス人のレジスタンスであるマリオン・コティヤール演じるマリアンヌが、フランス人夫婦に偽装、ドイツ軍のパーティに潜入して大使暗殺を謀る。 生きて帰ることは叶わないと覚悟して臨んだ作戦だったが、無事生還、作戦遂行のなかで心を通わせたふたりは、ロンドン帰還後に結婚、やがて娘も生まれ、満ち足りた生活を送っていたが、マリアンヌにドイツ軍の二重スパイとしての疑いが浮上する。
前半のカサブランカの部分は、まさに映画﹁カサブランカ﹂と時も場所も同じである。 モロッコ最大の都市カサブランカは、当時フランス領であったが、ドイツ軍が占領、その支配下に置かれていた。 そのため、連合国側とドイツ軍の間では様々な暗闘が繰り広げられていた。 この物語もそんな背景の中で描かれるが、スパイ映画の王道を行く展開は、ハラハラドキドキの連続である。 もうそれだけで堪能してしまうが、続くロンドン篇では、それをさらに上回るサスペンスが待ち構えている。 二転三転するストーリー展開、美しく自在な撮影、当時を再現したゴージャスな美術や衣装、主役二人の息の合った演技、そしてそれらを巧みに生かした演出の冴えと、すべてがハリウッドの王道を行く一級品の味わいである。 こういう映画には安心して身を任せられる。 監督は名匠ロバート・ゼメキス。 ﹁フォレスト・ガンプ/一期一会﹂、﹁コンタクト﹂、﹁キャスト・アウェイ﹂、﹁ザ・ウォーク﹂など秀作が多いが、この映画もそれらの代表作に連なるものだ。 また戦争を背景にした恋愛映画に名作は多いが、この映画もそうした系列に名を連ねることができる。 久しぶりにハリウッド映画の王道を、心ゆくまで堪能した。
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Category: 外国映画
映画「フェンス」
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原作はピュリッツァー賞を受賞したオーガスト・ウィルソンの同名の戯曲。 それを2010年に再演した舞台で主役を務めたデンゼル・ワシントンが、監督・主演で映画化した。 物語の舞台は1950年代のピッツバーグ。 主人公であるアフリカ系アメリカ人のトロイは、清掃作業の仕事をしている元野球選手。 かつて﹁ニグロ・リーグ﹂で活躍したことがあるが、メジャーリーガーという夢は叶わなないまま野球人生を終えている。 自分には実力があったにもかかわらず、差別によって道を閉ざされてしまったからだ。 その結果、清掃作業という仕事をせざるをえなかったと固く信じている。 そうした過去から、ふたりの息子には自分と同じような道を歩ませたくはないと考えている。 だがそんな思惑とは裏腹に、長男はジャズミュージシャンとしての成功を夢見、次男はプロフットボール選手となることを夢見ている。 それに対して﹁お前たちがいくら頑張っても、白人優位の世界で成功するなんてできるわけない。﹂﹁そんな夢みたいなことを考えていないで、俺のように汗水たらして地道に働け﹂と、息子たちの前に立ちはだかる。 けっして自説を曲げないデンゼル・ワシントンから、速射砲のような言葉が次々と繰り出されていく。 それによって有無を言わさず家族たちを捻じ伏せようとする。 その独断と偏見に満ちたセリフが圧倒的な迫力で迫って来る。 家庭内では独裁者のように絶対的力をもつトロイだが、いったん外に出れば地位が低く、けっして這い上がることのできない黒人の清掃員でしかない。 そうしたギャップが家庭内帝王としての力をますます強力なものにしてしまう。 出口の見えないスパイラルに陥ったまま、目に見えない敵にひとり立ち向かおうとするデンゼル・ワシントンの鬼気迫る姿が強く印象に残る。 そして最後は深い余韻に包まれる。 差別だけではない根の深さを感じさせる映画である。
この映画は昨年度のアカデミー賞で主要4部門にノミネート。 ヴィオラ・デイヴィスが助演女優賞を受賞している。 それにもかかわらず、この映画は日本未公開である。 内容は地味かもしれないが、それにしてもなぜにこれほどの秀作がと疑問に思ってしまう。
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野呂邦暢「夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選」
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諫早の作家、野呂邦暢の随筆集である。 野呂邦暢は、生涯を故郷・諫早の地で作品を書き続け、1980年に42歳の若さで急逝した。 この随筆集の編者は、書評家・岡崎武志である。 最近続けて読んだ岡崎の著書の中で野呂邦暢について書かれているのを読んでいたので、彼が熱烈な支持者であることは承知していたが、この本の編者であることはこれを読むまで知らなかった。 そんな偶然が、この本を近しいものにしてくれた。
解説に岡崎氏は次のように書いている。 ﹁一番大事なことから書く。それは、野呂邦暢が小説の名手であるとともに、随筆の名手でもあったということだ。小説を書くときほどの息苦しい緊張はなかっただろうが、ちょっとした身辺雑記を書く場合でも、ことばを選ぶ厳しさと端正なたたずまいを感じさせる文体に揺るぎはなかった。ある意味では、寛いでいたからこそ、生来の作家としての資質がはっきり出たとも言えるのである﹂
早逝の作家、野呂邦暢が残した作品は多くない。 そしてその作品はいずれも地味なものばかり。 ゆえに読者の数も多くはない。 しかし数少ない読者の中には、彼の作品を熱烈に愛する根強いファンが存在する。 けっして﹁忘れさせるわけにはいかない﹂作家なのである。 そんな思いを込めて没後30年の節目に出したのが、この随筆集である。
野呂邦暢は、1937年長崎市に生まれ、7歳の時に諫早市に移り住んだ。 1956年、京都大学を受験したものの失敗、そのまま予備校生として京都に住んだが、父親の事業の失敗でわずか3か月で京都での生活を終える。 その後は生活のために大学受験を断念、上京してガソリンスタンドで働き始めるが、翌年身体を壊して帰郷、陸上自衛隊に入隊、佐世保での2か月間の訓練の後、北海道千歳に配属される。 1958年除隊、諫早に帰り、家庭教師などで生計を立てながら作家を目指す。 1965年﹁ある男の故郷﹂で文學界新人賞佳作受賞、そして1974年には﹁草のつるぎ﹂で芥川賞を受賞するが、1980年5月7日、心筋梗塞で急逝。
そうした経緯が書かれている。 収められているのは、全部で57編。 そのほとんどが1970年代に書かれたものだが、1篇だけ1967年に書かれたものがある。 それがこの本の題名にもなっている﹁夕暮の緑の光﹂である。 そこには次のようなことが書かれている。
学生時代、“ブッデンブロークス”を読まなければ、田舎に居ついた疎開児童でなければ、原子爆弾の閃光を見なければ、郷里が爆心地に近くなければ私は書いていただろうか、やはり書いていたと思う。
外から来たこれらの事は私にものを書かせる一因になったとしても、他に言い難い何かがあり、それはごく些細な、例えば朝餉の席で陶器のかち合う響き、木漏れ陽の色、夕暮の緑の光、十一月の風の冷たさ、海の匂いと林檎の重さ、子供たちの鋭い叫び声などに、自分が全身的に動かされるのでなければ書きだしていなかったろう。
小説を読み映画を見るにつけ身につまされる事が多かった。他人事ではないのである。親しい友人は東京におり、九州の小都市で私は申し分なく、一人であった。
今思えばこれが幸いした。優れた芸術に接して、思いを語る友が身近にいないという欠乏感が日々深まるにつれて私は書くことを真剣に考えた。分かりきった事だが、書きたいという要求と現実に一篇の小説を書きあげる事との間には溝がある。
それを越えるには私の場合、充分に磨きのかかったやりきれなさが必要であった。と言い切るほど単純ではないかもしれないが、今のところ私が書きだした事情はこうである。
作家丸出航、私は密かに呟く。舵輪をとる者は一人といういささかの光栄はあるにしても、この船に錨はなく、その港は遠い。
さらにこうも書く。
小説家はだれしも文学的青春というものを経験している。大学で同人誌を刊行し、安酒場のすみで気の合ったもの同士文学論をたたかわすという世界から私は遠かった。同人誌に加わったことは一度もない。田舎町にそんなものはありはしなかった。あったとしても加入しなかっただろう。私は月々の文芸誌を立ち読みし、市立図書館で愚にもつかない雑書を乱読し、ある種の勘を働かせてめぼしい本を注文しては読み耽った。
文学を愛し、作家を志す青年が、孤独な心を抱えながらいかにして作家への道を歩んでいったか、そうした心の軌跡を、身辺雑記として綴った文章のそこここに垣間見ることができる。 孤立無援で先の見えない日々は、辛く苦しいものであったかもしれない。 だが、一方では充実があり、時に幸せを実感できた時間でもあったのではなかろうか。 そしてそれを支える力となったのが、諫早の町に見られる穏やかな自然の美しさであった。 なかでも諫早の町に面した海の存在が大きい。
諫早は三つの半島のつけ根にあたり、三つの海に接している。それぞれ性格を異にする三つの海に囲まれた小さな城下町である。わたしはこれまで刊行した三冊の本におさめた作品のかずかずを全部この町で書いた。諫早に生まれなかったなら、これらの小説が書けたかどうか疑わしい。物語というものはそれを生み出す風土を作者が憎んでいては成立しないものだ。わたしは諫早という土地を、こういう言葉を使ってよければ、愛している。美しい町であると思っている。町を歩けば海の匂いがするからだ。いつも町には三つの海から、微かな潮の匂いを含んだ風が流れこんで来る。外洋の水に洗われる千々石湾の風、その底質土に泥を含まない清浄な大村湾の風、干潟をわたって吹く有明海の風。 とりわけわたしは有明海の風を好む。………河口にたたずむごとにわたしは生活の疲れが癒え、再び自分の人生を生きようという思いを新たにする。水と泥と鳥と草原を眺め、空からそこに降りそそぐ始原的な光を浴びると、わたしは自分の内にある何物かが再生する感覚を味わう。河口だけでなく有明海そのものがわたしを活気づける力の源である。
さらにこうも書く。
小説家はだれしも文学的青春というものを経験している。大学で同人誌を刊行し、安酒場のすみで気の合ったもの同士文学論をたたかわすという世界から私は遠かった。同人誌に加わったことは一度もない。田舎町にそんなものはありはしなかった。あったとしても加入しなかっただろう。私は月々の文芸誌を立ち読みし、市立図書館で愚にもつかない雑書を乱読し、ある種の勘を働かせてめぼしい本を注文しては読み耽った。
文学を愛し、作家を志す青年が、孤独な心を抱えながらいかにして作家への道を歩んでいったか、そうした心の軌跡を、身辺雑記として綴った文章のそこここに垣間見ることができる。 孤立無援で先の見えない日々は、辛く苦しいものであったかもしれない。 だが、一方では充実があり、時に幸せを実感できた時間でもあったのではなかろうか。 そしてそれを支える力となったのが、諫早の町に見られる穏やかな自然の美しさであった。 なかでも諫早の町に面した海の存在が大きい。
諫早は三つの半島のつけ根にあたり、三つの海に接している。それぞれ性格を異にする三つの海に囲まれた小さな城下町である。わたしはこれまで刊行した三冊の本におさめた作品のかずかずを全部この町で書いた。諫早に生まれなかったなら、これらの小説が書けたかどうか疑わしい。物語というものはそれを生み出す風土を作者が憎んでいては成立しないものだ。わたしは諫早という土地を、こういう言葉を使ってよければ、愛している。美しい町であると思っている。町を歩けば海の匂いがするからだ。いつも町には三つの海から、微かな潮の匂いを含んだ風が流れこんで来る。外洋の水に洗われる千々石湾の風、その底質土に泥を含まない清浄な大村湾の風、干潟をわたって吹く有明海の風。 とりわけわたしは有明海の風を好む。………河口にたたずむごとにわたしは生活の疲れが癒え、再び自分の人生を生きようという思いを新たにする。水と泥と鳥と草原を眺め、空からそこに降りそそぐ始原的な光を浴びると、わたしは自分の内にある何物かが再生する感覚を味わう。河口だけでなく有明海そのものがわたしを活気づける力の源である。
葉室麟「おもかげ橋」
![omokagebasi.jpg](https://blog-imgs-118.fc2.com/m/y/c/mycinemakan/omokagebasi.jpg)
大学3年目の春、それまで住んでいた県人寮を出て、目白区関口の下宿に引っ越した。 東京カテドラル聖マリア大聖堂のある関口教会の裏側に位置する場所であった。 数分歩けば講談社や光文社があり、その先には護国寺があった。 また関口教会前の目白通りを渡ると、そこは椿山荘であった。 その椿山荘の脇に小道があり、しばらく行くと胸突坂という坂道になる。 そこを下って神田川を渡ると早稲田大学の校舎が見えてくる。 当時良く歩いた散歩コースであった。 その神田川を少し上った所にあるのが、この小説の舞台になった﹁面影橋﹂である。
﹁面影橋﹂は昔、姿見橋とか俤(おもかげ)の橋などと呼ばれていた。 付近一帯は高田村で、近くには﹁南蔵院﹂や﹁氷川神社﹂があった。 また太田道灌にちなんだ、<山吹の里>もこのあたりである。 さらに堀部安兵衛の十八人斬りで有名な高田馬場があったのも、この高田村であった。 それらのことは小説でも詳しく書かれており、物語を彩る重要な要素になっている。 また﹁面影橋﹂は蛍の名所としても知られていた。 それを読んで思い出したのが、大学時代に胸突坂で出会った蛍のことである。 そのことは以前村上春樹の﹁ノルウェイの森﹂を読んだ時にも書いたが、ある日、いつものように胸突坂を歩いていると、突然蛍が飛んできた。 まさか都心のこのような場所で蛍に出会うとは。 思いがけない遭遇に驚いた。 後になって知ったが、それは椿山荘が夏の催しのために飼育していた蛍だったのだ。 その蛍が、たまたまそこまで飛んできたのであった。 そして今回この小説を読んで、さらにこのあたりが昔は蛍の名所だったということを知ったのである。 それが椿山荘の蛍となり、さらに自分のなかの記憶として残ることになったのである。 それがどうしたと言われればそうかもしれないが、それでもこうしたささやかな発見があることが、自分にとっての読書の醍醐味になっている。 今回そうした出会いがあったことで、より小説を身近に感じることができたのである。
物語はお家騒動の煽りをくって国を追われたふたりの武士が、再び持ち上がったお家騒動のなかで初恋の女性を匿うことになるという明朗青春活劇である。 恋と友情を軸に、ときにコミカルに、ときに叙情豊かに描かれることで、儘ならぬ人生の哀歓が浮かび上がってくる。 地元九州を舞台に書くことの多い葉室麟の小説だが、これは珍しく江戸が舞台である。
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Category: 弘前
第42回弘前城雪燈籠まつり
﹁弘前城雪燈籠まつり﹂が始まった。
昭和52年(1977)にスタートした祭りは、今年で42回を迎えた。
毎年メイン会場の四の丸には大雪像が作られ、呼び物になっているが、今年作られたのは弘前市役所本館である。
昨年市役所に新館が建て増しされた。
それを記念しての大雪像である。
![maekawa2.jpg](https://blog-imgs-118.fc2.com/m/y/c/mycinemakan/maekawa2.jpg)
弘前市役所本館は、1958年に建てられた。 設計は前川國男、日本を代表する建築家である。 弘前市内には前川が設計した建物が、8つも存在する。 しかも前川の処女作となる建物がこのなかには含まれている。 このようなことは全国的にも珍しいことである。 なぜ前川の建物が弘前にこれほど数多く存在するのか。 それは彼の母親が弘前藩士の娘だったということに由来する。 前川自身は新潟の生まれである。
前川國男はフランスの世界的な建築家であるル・コルビジェのもとで建築を学んだ。 その時前川の後見人となったのが、当時国連事務局長としてパリに在住していた叔父の佐藤尚武であった。 母親の兄である叔父の佐藤尚武は、弘前の出身であった。 またパリ在住時に親交を深めた駐仏武官の木村隆三が弘前の人で、帰国後彼から設計を依頼された。 その結果作られたのが、前川國男の処女作となる﹁木村産業研究所﹂であった。 昭和7年︵1932年︶前川國男27歳の時である。 これで弘前との深い繋がりができ、以後の建築群の設計へと繋がっていくことになるのである。 1945年には弘前中央高等学校講堂が作られ、1958年弘前市役所、1964年弘前市民会館、1971年弘前市立病院、1976年弘前市立博物館、1980年弘前市緑の相談所、1983年弘前市斎場と続いていく。 木村産業研究所を作ったのが27歳、そこから始まった流れは、以後途絶えることなく続き、最後の弘前市斎場の時は78歳、実に50年の長きにわたって弘前の土地に新しいデザインの建物を作り続けたのである。 そしてそれが今や弘前市にとっての貴重な財産となっている。
![maekawa1.jpg](https://blog-imgs-118.fc2.com/m/y/c/mycinemakan/maekawa1.jpg)
一昨年、ル・コルビジェ設計の国立西洋美術館が世界文化遺産に登録された。 この建築工事では、彼の日本人の弟子である前川國男・坂倉準三・吉阪隆正の3人が協力し完成させている。 また新館は前川國男の設計である。 そうしたことも含めて考えると、今回の大雪像に弘前市役所本館を選んだのは非常にタイムリーなことだったように思える。 また弘前市にこのような遺産を残してくれた前川國男を顕彰する気持ちも、そこには込められているのではなかろうか。 大雪像の傍に立てられた案内板を読みながら、ふとそんなことを思ったのである。
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弘前市役所本館は、1958年に建てられた。 設計は前川國男、日本を代表する建築家である。 弘前市内には前川が設計した建物が、8つも存在する。 しかも前川の処女作となる建物がこのなかには含まれている。 このようなことは全国的にも珍しいことである。 なぜ前川の建物が弘前にこれほど数多く存在するのか。 それは彼の母親が弘前藩士の娘だったということに由来する。 前川自身は新潟の生まれである。
前川國男はフランスの世界的な建築家であるル・コルビジェのもとで建築を学んだ。 その時前川の後見人となったのが、当時国連事務局長としてパリに在住していた叔父の佐藤尚武であった。 母親の兄である叔父の佐藤尚武は、弘前の出身であった。 またパリ在住時に親交を深めた駐仏武官の木村隆三が弘前の人で、帰国後彼から設計を依頼された。 その結果作られたのが、前川國男の処女作となる﹁木村産業研究所﹂であった。 昭和7年︵1932年︶前川國男27歳の時である。 これで弘前との深い繋がりができ、以後の建築群の設計へと繋がっていくことになるのである。 1945年には弘前中央高等学校講堂が作られ、1958年弘前市役所、1964年弘前市民会館、1971年弘前市立病院、1976年弘前市立博物館、1980年弘前市緑の相談所、1983年弘前市斎場と続いていく。 木村産業研究所を作ったのが27歳、そこから始まった流れは、以後途絶えることなく続き、最後の弘前市斎場の時は78歳、実に50年の長きにわたって弘前の土地に新しいデザインの建物を作り続けたのである。 そしてそれが今や弘前市にとっての貴重な財産となっている。
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一昨年、ル・コルビジェ設計の国立西洋美術館が世界文化遺産に登録された。 この建築工事では、彼の日本人の弟子である前川國男・坂倉準三・吉阪隆正の3人が協力し完成させている。 また新館は前川國男の設計である。 そうしたことも含めて考えると、今回の大雪像に弘前市役所本館を選んだのは非常にタイムリーなことだったように思える。 また弘前市にこのような遺産を残してくれた前川國男を顕彰する気持ちも、そこには込められているのではなかろうか。 大雪像の傍に立てられた案内板を読みながら、ふとそんなことを思ったのである。
テーマ : 青森県情報 おもしろ情報 ジャンル : 地域情報
岡崎武志「蔵書の苦しみ」
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著者は主に書評や古本に関したコラムを書くライターである。 そして職業柄かなりの蔵書家でもある。 その数2万冊超、いやひょっとすると3万冊を超えているかもしれないという。 通常1万冊あれば1軒の古本屋が開けると言われているので、その数がいかに凄いかがよく分かる。
本が増え始めたのは、大学に入学して一人暮らしを始めてから。 以後引っ越すたびに数が増えていった。 理想の読書環境を手に入れたと思っていたはずが、本が氾濫し始め、足の踏み場もなくなってきた。 そして今では探している本が見つからず、あるはずの本をまた本屋で買いなおすという有様。 災害の域にまで達するような状態になってしまったのである。 まさに﹁蔵書の苦しみ﹂である。 その行きつく先がどういうことになるか、様々な例を引いて書いている。 まず木造アパートの二階に住んでいた人が、本の重さで床をぶち抜いた話。 同じような話として串田孫一や井上ひさしやマンガ家の米沢嘉博などの例を挙げる。 またこの本にも書かれているが、図書館でいっしょに借りた関川夏央の﹁文学はたとえば、こう読む﹂の中にも、これと似たような話として﹁本の山が崩れて遭難した人 草森紳一とその蔵書﹂があった。 草森の著書﹁随筆 本が崩れる﹂のなかに書かれているもので、3万冊以上の本で埋まった自宅マンションで風呂に入ろうと浴室に入った時、ドアの前に積んであった本の山が崩れてドアが開かなくなり閉じ込められてしまったという話である。 ひとり暮しをしていたため助けを呼ぶことも出来ない。 それをどうやって脱出したかが、詳しく書かれている。 笑うに笑えない話であるが、もうこうなれば事件である。災害である。 これは特殊な例かもしれないが、たとえば地震が起きて本棚が崩れ、その下敷きになることはあり得ることだ。 けっして珍しいことではない。 もちろんこの本なかでも、阪神大震災や東日本大震災の際に、蔵書がどうなったか、様々な蔵書家のケースをあげて書かれており、本棚がいかに地震に弱いか、そしてこうした異変の際には本は凶器と化すのだ、ということを書いている。
蔵書家は本に対する愛着は人一倍強い。 どの本も限られた小遣いのなかから、買おうかどうしようかと煩悶しながら、それでも﹁これはどうしても買っておこう﹂と決意したうえで手に入れたものばかりである。 ﹁事情が許せば、買った本は全部そのまま残しておきたい。それが本音だ。﹂ ﹁それでも、やっぱり本は売るべきなのである。スペースやお金の問題だけではない。その時点で、自分に何が必要か、どうしても必要な本かどうかを見極め、新陳代謝をはかる。それが自分を賢くする。蔵書は健全で賢明でなければならない。初版本や美術書など、コレクションとしていいものだけを集め、蔵書を純化させていくやり方もあるだろうが、ほとんどの場合、溜まり過ぎた本は、増えたことで知的生産としての流通が滞り、人間の身体で言えば、血の巡りが悪くなる。血液サラサラにするためにも、自分のその時点での鮮度を失った本は、一度手放せばいい﹂ そのような結論に至った著者の蔵書減らしの悪戦苦闘が、そこから始まるのである。
果たして理想の蔵書とは、どういったものか、そして貯まり続ける本の管理を世の蔵書家たちはどのようにしているのか、古今の蔵書家や読書家、身近な蔵書家など様々な事例のなかからそれを探ろうとする。 登場するのは、先の串田孫一や井上ひさしに加えて、谷沢永一、植草甚一、北川冬彦、坂崎重盛、福原麟太郎、中島河太郎、堀田善衛、永井荷風、吉田健一といった文学者たち。 加えて蔵書のために家を建てた人や、保管のためにトランクルームを借りた人など一般の人たちも数多く登場する。 また﹁明窓浄机︵めいそうじょうき︶﹂という言葉が出てくるが、これは宋時代の中国の学者・欧陽脩︵おうようしゅう︶の言葉で、明るい窓、清潔な部屋に机と本が1冊あり、そこで読み書きをするというもの。 究極の書斎であり、それを実現させたものに鴨長明の方丈記がある。 さらにもうひとつの明窓浄机として刑務所があり、その実例として荒畑寒村の例を挙げている。 こうした探索は映画に出てくる蔵書にも及ぶ。 ﹁遥かなる山の呼び声﹂、﹁ジョゼと虎と魚たち﹂、﹁愛妻物語﹂といった映画の中に見られるささやかで個性的な蔵書、さらには﹁いつか読書する日﹂の本がぎっしり詰まった﹁本の家﹂。 そうした諸々の探索から導き出した結論は、﹁理想は500冊﹂というもの。 その根拠となったのが、﹁書棚には、五百冊ばかりの本があれば、それで十分﹂という吉田健一の言葉。 そして﹁その五百冊は、本当に必要な、血肉化した五百冊だった。﹂ しかし理想と現実は大違い。 2万冊を500冊に減らすのは、あまりにも至難の業。 理想通りに運ばないどころか、逆に大量の本を処分した同じ日に、またまた古本を買ってしまうという始末。 ﹁バカだなあ、と自分でも思うが、この気持ち、わかってもらえる人にはわかってもらえるだろう。﹂と書く。 コレクター心理の複雑なところ。 ﹁蔵書の苦しみ﹂とはいうものの、﹁本当のところは、よくわからない﹂のである。 苦しんでいるようであり、楽しんでいるようでもある。 結局﹁本が増え過ぎて困る﹂という悩みは、贅沢な悩み、色事における﹁のろ気﹂のようなものと結論する。 ﹁自分で蒔いた種﹂﹁勝手にしてくれ﹂というしかないのである。 ましてや古本ライターを名乗る著者にとっては、こうした悩みはどこまで行ってもついて回る宿命のようなもの。 ﹁たぶん、この先も苦しみながら生きていく﹂と自虐的にボヤキながら筆を置くことになるのである。 しかしそんなボヤキから生まれた本書の、何と面白いことか。 時間を忘れて楽しんだ。
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