樺太先住民族の戦争(上)
MLのオフ会で神戸護国神社を訪ねた際、建ち並ぶ戦友会の慰霊碑
の中で、ひときわ大きく、異彩を放っている﹁北方異民族慰霊之碑﹂
というのが目を引きました。
この﹁北方異民族﹂というのは、かつて日本の領土だった南樺太︵現 サハリン︶の先住民族であるウィルタ人︵オロッコ人︶やギリヤーク人 のことを指しています。戦前・戦中はそう呼称していたのでしょう。
戦前から日本陸軍はソ連軍の動向を探るため、国境を接した南樺太に 陸軍中野学校出身者を中心とした特務機関を設けていました。戦争が 激しくなってきた1942年、樺太の陸軍特務機関は先住民族の青年を召 集、対ソ連の諜報活動に従事させました。
日本の敗戦後、彼らは置き去りにされ、そしてソ連によって戦争犯罪 人としてシベリアに送られ、多くの人が強制労働や飢えのため亡くな りました。幸い生き残った人の中には、故郷サハリンへ帰ることが叶 わず、国籍もないまま日本へ引き揚げた人も多くいたようです。
元樺太敷香︵しすか︶陸軍特務機関長だった扇貞雄元陸軍少佐は、シ ベリアに散った多くの部下を悼み、﹁日本のために殉じた異民族の慰 霊は私がしなくて誰がする﹂という執念から、復員後起こした会社が 倒産の危機にある中で、この慰霊碑を建立しました。
兵庫県出身でない樺太先住民たちは、この神社には祀られていないと 思いますが、扇氏は戦後神戸市でずっと会社を経営していましたので、 この神戸護国神社に慰霊碑を建てたのでしょう。 ―つづく―
![ireihi](http://blog-imgs-30.fc2.com/n/i/s/nishiha/gokoku10.jpg)
この﹁北方異民族﹂というのは、かつて日本の領土だった南樺太︵現 サハリン︶の先住民族であるウィルタ人︵オロッコ人︶やギリヤーク人 のことを指しています。戦前・戦中はそう呼称していたのでしょう。
戦前から日本陸軍はソ連軍の動向を探るため、国境を接した南樺太に 陸軍中野学校出身者を中心とした特務機関を設けていました。戦争が 激しくなってきた1942年、樺太の陸軍特務機関は先住民族の青年を召 集、対ソ連の諜報活動に従事させました。
日本の敗戦後、彼らは置き去りにされ、そしてソ連によって戦争犯罪 人としてシベリアに送られ、多くの人が強制労働や飢えのため亡くな りました。幸い生き残った人の中には、故郷サハリンへ帰ることが叶 わず、国籍もないまま日本へ引き揚げた人も多くいたようです。
元樺太敷香︵しすか︶陸軍特務機関長だった扇貞雄元陸軍少佐は、シ ベリアに散った多くの部下を悼み、﹁日本のために殉じた異民族の慰 霊は私がしなくて誰がする﹂という執念から、復員後起こした会社が 倒産の危機にある中で、この慰霊碑を建立しました。
兵庫県出身でない樺太先住民たちは、この神社には祀られていないと 思いますが、扇氏は戦後神戸市でずっと会社を経営していましたので、 この神戸護国神社に慰霊碑を建てたのでしょう。 ―つづく―
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