アメリカでCDA (Communication Decency Act) が大騒ぎになったのは今年の春先のことだけど、ちょうど一年遅れのタイミングでおんなじようなことを日本でもやろうとしている。日本国民がアメリカ国民と同じような反応を示すとすると、年明けの春先頃には、一般の人もまきこんだ形で議論になると思う。でも、国民性が違うから同じにはならないだろうな。
それにしても、あきれるのは、日本の﹁規制やりたい﹂という人たちのオリジナリティの無さだ。法務省の﹁通信傍受﹂に関する法案 (http://www.jca.or.jp/~toshi/cen/wiretap.intr.html)なんかは、﹁1968年犯罪防止・街頭安全総合法 (Omnibus Crime Control and Safe Streets Act of 1968)﹂の中の第3編﹁盗聴および電子的監視︵Wiretapping and Electronic Surveillance︶﹂の焼き直しみたい。着目点は、アメリカでは随分前にこの法律ができたのに対して、日本ではようやく今頃になって法律にしようという動きが出てきたこと。
アメリカの場合は、どちらかというと﹁捜査する側﹂が通信傍受をしまくっていたので、法律が無いと﹁野放し﹂になって、国民のプライバシーが侵されるから、法律で手続をはっきりさせましょう、ということで制定されたという背景がある。だから、この法律で規律されている側は﹁捜査する側﹂なんだね。一方、日本ではこの辺の﹁捜査に必要な通信傍受﹂に関する法律が無かったのに対して、実際には逆探知などの傍受行為が裁判所からの許可のもと行われ続けてきた。アメリカほどに派手ではなかったにしろ、﹁野放し﹂状態にあったのかもしれない。詳しくは知らないけど。
# どこの国でも、捜査する側でもされる側でも、法律がどうだろうと﹁できることは
# 何でもする﹂というのは常に頭にいれておかなくてはね。
で、最近のデジタル通信時代になって、﹁捜査する側﹂の傍受能力が低下してきた。そこで、なんとかしようという動きが先のCDAや後に触れる EES (Escrowed Encryption Standard)なんだ。アメリカが傍受に関する﹁捜査する側﹂の縛りを緩めようといい出したときに、日本では法案を持ち出してきたことが興味深い。日米の法律に対する根本的な態度の違いが感じられませんか?
ついでに指摘しておくと、アメリカでは﹁通信の秘密﹂は憲法において直接保障された権利ではないけど、CDAは憲法に違反する疑いが強いということで﹁施行停止﹂状態になっている。一方、日本では﹁通信の秘密﹂は憲法21条で直接保障されている。明文で保障されている方の国で、そうでない国よりも﹁通信の傍受﹂が広く容認されるという不思議なことにならないと信じたいものだ。
もう一つ、10月25日の日経13版11面の﹁通信ネット 暗号管理技術 開発へ日立・富士通 通産省も助成金﹂という記事をみると﹁暗号鍵供託システム(KES)﹂なる暗号システムについての研究の記事がでているけど、これってアメリカで非難ごうごうだった EESと全くおんなじ。
ほんとに不思議なのは、ユーザーやメーカー等が自分のところの大事な秘密を覗く鍵を第三者に預けるような﹁お馬鹿﹂なことを自発的にやるか?ということだ。結局、法律で暗号鍵の寄託を強制しなければ、こんな暗号システムが、大事な秘密を伝達する場面で使われるようになるはずがない。だから、こういったシステムの研究が始まった段階で、すでに悪評高い Clipper & Capstone のような国家による暗号システム管理が視野に入っていると考えなくちゃね。でも、既にPGP (http://www2.eccosys.co.jp/~tsuruta/pgp/4.01.html) が一般的になりつつあるから、これを使っていれば、しばらくは安心。でも法律でPGPのような強力な暗号が禁止される可能性は大。かえって大事な秘密は自作の暗号文にして﹁郵便﹂で送った方が安心かもね。﹁ゴタハタンハタオムタレタツタ (タヌキ)﹂とかね︵笑︶。あと、マイナーな外国語を使うのもいいね。勉強にもなるし。たとえば、イヌイット語の方言をアラビア文字で記述したら、もう誰にもわからないと思う。薩摩弁をハングルで記述とか、組み合わせはいろいろ考えられると思う。
さて、こういった記事を書くと、﹁おまえの立場はどうなんだ﹂といわれそうなので、書いておきます。
犯罪はビシバシ取りしまってもらわないと困ると思っております。とくに、より悪いよりずる賢い人から厳しく取り締まってもらわないと。そこで﹁できることは何でもする﹂という悪い人の根本的な発想を前提にすると、法律で特定の暗号システムを強制しても、通信の傍受を認めても、ほんとに悪い人はそんなものうまくきりぬけますよ。絶対に。とすると、寄託暗号鍵システムを素直に使うような人、傍受され得るような通信経路を使うような人が、いま狙われてる規制の対象になるのです。そういう素直で間抜けな人は、一流の犯罪者にはなれません。すなわち、小物ばかりがワリを食らって、ほんとに悪い人はより深い世界に潜んでいくことなりますね。それでは、法律が目的としているような悪質な組織犯罪や麻薬取引を撲滅する手段にはなりえません。︵ネットワークにおける小犯罪をたくさん摘発して﹁取り締まり側もきちんとやっておるのぉ﹂という社会的風評を獲得することを狙っているのかも(^^ ︶
その一方で、﹁捜査する側﹂がその気になれば、私達そこらへんの小市民の通信を好きなように傍受できるというのは、どうも均衡を失しているような気がするのです。
まず、﹁裁判したり取り締まったりする側﹂が﹁ほんとに悪いことをしている側﹂に対抗できるような知識と技能を持つことの方が先だと思います。自分達は勉強も苦労もしないで、法律で自分達がやりやすいようにしろと押し付けてくるのでは、困ります。
先の投稿に対するコメントへのコメント
>> なにやら通信傍受と通信の規制を混同していません?
>>
>>CDAは憲法で保証された﹁表現の自由﹂を犯すおそれが大きいから施行停止されて
>>いるのです。 ﹁通信の秘密﹂とは直接関係ありません。
はい、混同しておりました。﹁通信規制 (communication regulation)﹂という大枠のうち、犯罪捜査に関する電子的監視﹁electronic surveillance﹂の部分に、私が触れた CDA と EES は関わってくるのですが、両者は上記の枠組みの中での一つの政策の二つの姿でのあらわれだと考えています。
CDA は、合衆国法典47巻 223 条に存在していた﹁迷惑電話﹂に関する規定をネットワーク通信一般に拡大したものですが、その実質的効果として、CDA の規定にそってネットワークを運営すると、ネットワークの管理者が通信内容に関する閲読 (review) および排除をしなければならなくなります。これは、秘密性を有しない内容について行われるため、専ら合衆国憲法修正第一条で保証された権利に影響を与えると判断されます。これを根拠に﹁American Civil Liberties Union et al v. Janet Reno, Attorney General of the United States, Civ. No. 96-963 (E. D. Penn., 1996)﹂において、差止命令が発給されたのは、貴方のご存じのとおり。
しかしながら、CDA が議会に提出された経緯をみると、司法当局がネットワークを監視 (survey) する困難を打破するために提案されてきたようにみえます。それまで、ネットワーク管理者は、自らは通信経路を管理しているだけであり内容に関与しないということを前提にして仕事をしていました。これに加えて制定法上のプライバシー規定︵通信の秘密はここで関係します) が障害となり、司法当局が違法性があるコンテンツを発見するためには、実際に利用者としてアクセスする以外の手段はありませんでした。これでは、爆発的に拡大しているネットワーク通信に対して司法能力を発揮することはできなくなります。
CDA は、このようなネットワーク通信の監視における﹁量﹂的困難への反応なのだと考えています。ネットワーク管理者の一人一人が通信内容について閲読をしてくれれば、司法当局の負担はかなり減ります。一方、EES は、強力な暗号システムの一般化というネットワーク通信の監視における﹁質﹂的困難さへの反応として理解しています。ネットワークにおいて合法な暗号システムの鍵が政府が指定する機関に寄託されているならば、これまた司法当局の負担は大幅に減るでしょう。
そういう観点で把握していたので、うっかり混同が生じたのです。でも、まあ、自分で書いた文書を読み返して見ると、貴方が指摘したようにしか読めませんから、私の誤りです。ごめんなさい。
# いま別のテーマについて論文を執筆しているので頭が切り替わりきれなかった。
# おとなしく論文書いてればよかったんだよなぁ。後悔。
| 白田 秀彰 (Shirata Hideaki) 法政大学 社会学部 助教授 (Assistant Professor of Hosei Univ. Faculty of Social Sciences) 法政大学 多摩キャンパス 社会学部棟 917号室 (内線 2450) e-mail: shirata1992@mercury.ne.jp |
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