河内源氏発祥の地

壺 井 八 幡 宮

 



 
  

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 7061051         
 1235106271064515殿  



 
     

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 西殿818                                 
                                     
 



前九年の役の天喜5年(1057)6月7日、頼義公・義家公父子が賊と戦う時大干魃にて飲料水乏しく、まさに敗北せんとするときに、頼義公は下馬脱甲合掌、干天に祈って「諸軍渇に堪えかね、将に敗戦とす。伏して願わくば軍中に、水を得さしめ給え、帰命頂礼八幡大菩薩南無通法救世大士、擁護の手垂れ給え。」と申されしばらく礼拝された後、自ら弓矢をもって岸壁を穿ち給えば、そこより清水湧き出し、熱渇はたちどころに除かれた。これにより、諸軍は大いに勢いを得、遂に賊を誅伏することができた。
因って凱旋の際、この清水を壺に入れて持ち帰り、城域内に井戸を掘り井底に壺を埋めて壺井水と称した。以後、香呂峰の地名は、壺井と改められた。湧水は今の北上川となったといわれている。壺井水の井戸は、現在も完全に保存されており、最近まで飲料水として利用されていた。