宮柊二 【みや しゅうじ】
大正元年8月23日〜昭和61年12月11日。一生活者としての立場から、戦争体験や、職場、家族などを題材に、孤独感と陰影に富む歌を作った。
代表歌集
- 「群鶏」 昭和21年
- 「小紺珠」 昭和23年
- 「山西省」 昭和24年
- 「多く夜の歌」 昭和36年
代表作品
つき放はなされし貨車が夕ゆふ光かげに走りつつ寂しきまでにとどまらずけり ︵﹃群鶏﹄昭和21︶ おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様をまつぶさに遂げむ ︵﹃山西省﹄昭和24︶※1 ・ ねむりをる体の上を夜の獣穢けがれてとほれり通らしめつつ ︵﹃山西省﹄昭和24︶※2 耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず ︵﹃山西省﹄昭和24︶ ・ たたかひを終りたる身を遊ばせて石いは群むらがれる谷川を越ゆ ︵﹃小紺珠﹄昭和23︶ 孤独なる姿惜しみて吊し経し塩鮭も今日ひきおろすかな ︵﹃小紺珠﹄昭和23︶ ・ 焼跡に溜れる水と箒はは草きぐさそを囲めぐりつつただよふ不安 ︵﹃小紺珠﹄昭和23︶ 一本の蝋燃しつつ妻も吾あも暗き泉を聴くごとくゐる ︵﹃小紺珠﹄昭和23︶ 毎日の勤つと務めのなかのをりふしに呆然とをるをわが秘密とす ︵﹃日本挽歌﹄昭和28︶ あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり ︵﹃日本挽歌﹄昭和28︶ ・
※1 ﹁幹部候補生志願を再三慫慂せらるることあれども。﹂という詞書があり、無名の一兵士として自らの運命を見届けようという意志をうたっている。作者は昭和14年に召集され、中国山西省の山岳地帯で八路軍と戦闘を繰り返した。 ※2 戦地での場景をうたった作品。
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