正岡子規 【まさおか しき】
慶応3年9月17日〜明治35年9月19日。近代短歌の革新者であり、「万葉集」を理想とした、客観写生の歌を作った。
代表歌集
- 生前には歌集未刊行。
代表作品
人丸の後の歌よみは誰かあらむ征夷大将軍みなもとの実朝 ︵明治32︶※1 ・ 冬ごもる病の床のガラス戸の曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ ︵明治33︶ ・ くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる ︵明治33︶ ・ 松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く ︵明治33︶ ・ 瓶にさす藤の花ぶさ短ければたゝみの上にとゞかざりけり ︵明治34︶ ・ 佐さほ保が神みの別れかなしも来ん春にふたたび逢はんわれならなくに ︵明治34︶※2 いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす ︵明治34︶ ・ 夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我いのちかも ︵明治34︶ ・ 若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり ︵明治34︶※3 ・ いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かしむ ︵明治34︶※4 ・ ︵その他︶ ・
※1 ﹁人丸﹂は柿本人麻呂のこと。作者は歌人としての源実朝を高く評価していた。 ※2 ﹁佐保神﹂は春を司るという女神。作者は重病のため、来年の春を迎えることができないだろうと思い、この歌を作った。︵実際には翌年の秋まで生きた。︶ ※3 ﹁夕かたまけて﹂は﹁夕方になって﹂の意。﹁熱いでにけり﹂は自身の発熱を指す。 ※4 ﹁いたつき﹂は﹁病気﹂の意。
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