No.1081

作家名:土井 晩翠
作家名読み:どい ばんすい
ローマ字表記:Doi, Bansui
生年:1871-12-05
没年:1952-10-19
人物について:詩人、英文学者。「荒城の月」の作詞者である(作曲は滝廉太郎)。「オヂュツセーア」「イーリアス」の翻訳者としても有名である。生い立ちについては、「「雨の降る日は天気が悪い」序」にある自伝を引用する。

『父は七郎兵衞(初名は林七――號は擧芳)母は愛、略三百年仙臺に定住して來た家で、明治四年(公元一八七一)十月二十三日(太陰暦)同市北鍛治町に生れ、八歳の時、『培根小學校』(今の木町通小學校)へ入學、十一歳の九月、擧家一同大町に移つたので近所の佐久間(晴嶽)塾に數ヶ月入塾、轉じて立町小學校に入り、十四歳で卒業したが、それから十八歳までは獨學、只一年内外齋藤秀三郎先生が當時創設された仙臺英語塾に通學、十八歳の九月に二年前新設の第二高等學校の補充科第二年に入り、豫科三年本科二年を卒へ、續いて當時唯一の(東京)帝國大學に入り英文學を修め、明治三十年卒業、三十二年母校に奉職、三十四年六月出發、外遊して英佛、獨、伊を廻り、三十七年末日露戰役の最中に歸朝、翌年また母校に奉職して爾來二十餘年――今なほ續いて怪しげな英語教員である。初めて公刊したのはカーライル英雄論の譯(明治三十一年、春陽堂)その序の中に『著者の心と讀者の心と調を一にせぬなら讀書の效用が無い、私は今日の才子者流に對して本譯の誦讀を望まない』など穉氣笑ふに耐へぬ言を吐いたが、しかし大體に於ては今でも斯く信じてゐる。次に刊行したのは處女作『天地有情』(明治三十二年四月七日發行)――甚だ幼いものだが、多大に世間から愛讀されたのは豫想外の僥倖であつた。續いて『曉鐘』『東海遊子吟』『曙光』『天馬の道に』を刊行した。序ながら(曰はでもの事であるが)詩に於ては屈原、李白、杜甫‥‥ゲーテ、ユーゴー、シエレイ‥‥を多年に亙つて尊敬してゐる。東西の聖經中の純正高尚なものに對しては只たゞ、崇拜と曰ふより外はない。』

また、「土井」の読み方については、「「雨の降る日は天気が悪い」序」にある以下の附言に従い、「どい」としている。(門田裕志)

附言(一)私の姓を在來つちゐ[#「つちゐ」に傍点]と發音し來たが選擧人名簿には「ド」の部にある。いろ〳〵の理由でこれからどゐ[#「どゐ」に傍点]に改音[#「改音」に白丸傍点]することにした。特に知己諸君に之を言上する。
wikipediaアイコン土井晩翠





(一) ID43107 

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(四) 02ID56892 

(五) ID42232 

(六)  01ID52336 

(七) ID42242 

(八) ID42233 

(九) ID43115 

(十) ID43116 
 

  

(一) ID43108 

(二) ID43109 

(三) 02ID47096   ()  () 

(四) 01ID47153   () 

(五) 03ID47548   () 

(六) ID43110 

(七) ID43111 

(八) ID42770   () 

(九) ID43113 

(十) ID42236 

(11) ID43112 

(12) ID43114 

(13) ID42783   () 





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