1章
マッカーサーがやって来た
2章
焼け野原から復興
3章
追及される戦争責任
4章
揺れる政治・外交
5章
空手チョップにわいた
6章
高度成長の足音
7章
高度成長とひずみ
8章
激動の政治、冷戦下の外交
9章
揺れる国内
10章
流行を追って
11章
娯楽とともに
12章
「バブル」と昭和の終わり
13章
失われた20年
14章
グローバル化のうねり
15章
あの日の衝撃
16章
世界で活躍
17章
平成のトレンド
18章
災害列島
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用語解説
田中新内閣誕生
東映ニュース675号より
1972(昭和47)年7月6日、東京都文京区目白台の自宅で行われたテレビのインタビューの質問に、しぶい表情を見せる自民党の田中角栄・新総裁。田中氏はこの日、衆参両院の首相指名選挙で首相に選ばれた。田中氏は新潟県出身。15歳で上京後、住み込み店員などをしながら、土建会社を設立。47(昭和22)年、28歳で衆院議員に当選すると、一気に戦後政治史の主役の一人まで登り詰めた
1972(昭和47)年7月17日、ごはんにバターを乗せて朝食をとる田中首相=東京・目白台の私邸
1976(昭和51)年7月27日、航空機の売り込みを狙った米ロッキード社から5億円を受け取ったとされる「ロッキード事件」で、田中前首相が東京地検特捜部に逮捕されたことを報じる朝日新聞
1976(昭和51)年7月27日、米ロッキード社から5億円を受け取った疑いで逮捕され、東京・小菅の東京拘置所に入る田中角栄前首相(中央)。左は東京地検の松田昇検事。「首相の犯罪」として日本国内に大きな衝撃を与えた。田中氏はその後も自民党内のキングメーカーとして力を維持したが、85(昭和60)年に脳こうそくで倒れ、政治的な影響力を失った。83(昭和58)年、東京地裁は懲役4年の実刑判決を言い渡した。87(昭和62)年、東京高裁が控訴を棄却。田中氏は上告審の最中だった93(平成5)年に死去した
1978(昭和53)年10月24日、来日した中国の鄧小平副首相(右)と談笑する田中角栄元首相(左から2人目)。左は廖承志中日友好協会会長=東京・目白台の私邸
Q14
田中角栄さんはロッキード事件で逮捕後も、キングメーカーとして絶大な権力を握り、政界に大きな影響を与えました。しかし、その田中氏さんが85年に脳こうそくで倒れると、影響力が低下していきます。田中さんに代わって、田中派のある政治家が新たなグループを立ち上げて発言力を強め、87年に首相に登りつめます。この人物は誰でしょうか。