「手紙」には、多くの情報が詰め込まれています。その文面はもとより、筆跡や文体、ハガキか封書かといった書簡の形式、便箋か巻紙かという用紙の使い分け、 ペンか筆かの筆記用具の別もあります。そうした多彩な手がかりからは、書き手の人となりや折々の心象風景、周囲の人々との関係性等々、 多様な事がらがみえてくることでしょう。 谷崎からの手紙もまた、文豪のさまざまな顔を浮かびあがらせてくれます。 時を追うごとに刻み込まれた、作家としてまた人間としての年輪。スキャンダルの周辺で交錯する人間模様。戦争という歴史の奔流の中で遺された、 いかにも谷崎らしいエピソード。一方で、世相を読み時流に合わせることにたけた商才豊かでしたたかな、作家らしからぬ意外な顔もあります。 書簡の中の文豪谷崎は、じつに豊かな表情を私たちにみせてくれるに違いありません。
「初版本」―その言葉の響きには、独特の緊張感が漂います。それは、名作た ちにとっての、ただ一度きりの「デビュー」であればこそのものなのでしょう。 「本」というかたちになって世に出るまでが自分の作品である、とのこだわりを持っていた谷崎の場合、自作の晴れ舞台への思い入れはとりわけて強い。 凝った素材を使っての贅沢な装丁による、念入りなドレスアップとメイクアップが施された初版本の数々。著名な画家による装丁・挿画が効果的な、 「共作」といえる趣の本もあります。 そんな、それじたいが贅沢な美術・工芸作品でもある初版本たちは、やはりそれなりの値にはなります。 また、様々なモノの中で、商品としての「本」の価値がどれくらいのところにくるのかも、時代によって変わってくる。 さらに、<「古書」としての初版本>という違う見方からはまた、目を見張るような高値がつくこともままあって、驚かされます。 特設展では、そうした「売り買いされる商品」としての書籍という視点をもからめながら、谷崎作品初版本の世界を楽しんでいただきます。
文豪・谷崎潤一郎は、若い頃、映画の脚本を執筆していました。そんなことも あってか、谷崎は映画界とも繋がりが深く、その作品も数多く映画化されています。 さらには、谷崎文学の真骨頂ともいわれる「話の筋のおもしろさ」「物語性の豊かさ」も手伝ってでしょうか、 演劇・歌舞伎等をはじめ、舞台芸術・芸能への作品の翻案も多くあります。 そんな「エンターテイメント」の世界と谷崎作品そして谷崎自身との関わりに焦点をあてていきます。
■特別展開催時の記念館入場料は一般400円、65歳以上200円、高校・大学生300円、中学生以下無料となります。
まだ「潤一郎少年」だった幼少の頃、谷崎は幸せでした。 谷崎は、たいへん裕福な家に生れました。「婆や」の付き添いがなければ小学校にも通えないという、「乳母日傘」のお坊ちゃんで、大切に可愛がられて育ちました。錦絵にも刷られたという、大好きだった美しい母の面影も、幸せな幼い時代を甘く彩っています。そして故郷・東京は、「古き良き江戸」の情緒をいまだとどめて、幼い潤一郎の感性を優しくつつみこみ豊かに育んだのです。 しかし、そんな甘く美しい日々も、長くは続きませんでした。懐かしい江戸の面影は近代の「東京」に侵食され、谷崎一家もやがて暗い貧窮のなかへと堕ちていきます。谷崎が故郷を拒み捨てたこと、にもかかわらず終生郷愁を捨てきれずにいたことの背景には、幼少期から青年時代へかけてのこうした暗い屈折があったのでしょうか。幼馴染みとの終生のつきあいも、暗い谷間の向うの、谷崎にとってもっとも美しく幸せだった幼い日々の思い出を繋ぎ留め、よび覚ますよすがとなっていたのかもしれません。 日本画の大家・鏑木清方が失われた東京の風俗を見事に活写した『幼少時代』挿絵原画、老いた谷崎がなお抱き続けた美しい母への憧憬を受け止めた鬼才・棟方志功の『瘋癲老人日記』挿絵原画、谷崎が故郷への屈折した郷愁を吐露したエッセイ「東京をおもふ」の自筆原稿、そして谷崎の幼少時代にまつわる貴重な写真等々・・・。さまざまな資料を通して、文豪谷崎の感性の母胎ともなった幼き日々とその郷愁とをクローズアップしていきます。
第五回 芦屋・打出の家