徳島のくすりの歴史

ホーム > 徳島のくすりの歴史 > 日本の近代薬学の開祖 長井長義とは

日本の近代薬学の開祖 長井長義とは

日本薬学の父 長井長義を知る


   
PDF  長井長義を知る
2
 4
 
 30調  

生い立ち

長井長義を知る

明治後期ころの長井長義博士


 21845 15 21886226
   

洋学修行


 
 
 湿
  23
 13   
長井長義を知る

長井長義生家(徳島市中常三島町)
現在は改築されているが、入口には児玉桂三元徳島大学長により建立された石碑がある。手前の敷石の一つが徳島大学薬学部の玄関に埋め込まれている。

長井長義を知る

 13
   
長井長義を知る

 3湿  


   
長井長義を知る

 
   
長井長義を知る

長崎日記に記録された電気メッキの実験装置。この時期、まだ電気メッキは実用化されていない。

ベルリン留学


 214
 11使100使使
 
 13500
 771017529
   
長井長義を知る

明治18年12月15日発行のパスポート外務卿・伯爵井上馨名。
長井が結婚のためにドイツに赴いた時の旅券と思われる。東京大学の同僚の配慮により公務扱いとしたことが知られている。

長井長義を知る

ベルリン留学中の長井が、父・琳章に書いた書状ベルリン大学の実験台のスケッチが書き込まれている。

長井長義を知る

長井が婚約時代にテレーゼとともにドイツのケルンにおいて撮影した写真(キャビネ判鶏卵紙印画)

長井長義を知る

明治19年、結婚前後にアンダーナッハのシューマッハー家で撮した写真(複製)後列左はテレーゼの両親、前列は祖父母

エフェドリンの発見と産学官連携


 3使5
 
 18743120使  
長井長義を知る

写真:1

長井長義を知る

写真:2


 :11885使80
 :2  
長井長義を知る

1892年エフェドリンの発見に続き、化学構造について論じた最初の論文(薬学雑誌)。当時は縦書きであった。

長井長義を知る

エフェドリン誘導体に関する特許証

長井長義を知る

明治36年、染料藍析法に関して久留米絣同業組合長との間に交わした秘密保持契約

学会活動


 18西
 使2042
 
 Dr. der Philosophie201325525103441  
長井長義を知る

我が国最初の博士学位が勅令第13号により25人(うち理学博士5人)に授与された。番号は25人を学位種別と関係なく年齢順に並べて割り振ったものである。長井はその8番目であった。初代文部大臣、森 有礼はこの年の冬暗殺される。

長井長義を知る

10211  

学校創設と人材育成


 
 124
 
 
 姿1  

晩年


 283
 485  
長井長義を知る

昭和3年5月9日、徳島に帰郷した長井は、富田久三郎(富田製薬創業者)らの歓迎を受けた。写真はその折、徳島高等工業学校製薬化学部第4回卒業生との記念写真。中列左から、吉岡寅吉教授、富田久三郎、小溝茂橘校長、長井長義、篠田淳三教授(初代製薬化学部長、のち第一製薬社長)。(「富田製薬百年のあゆみ」より)

長井長義を知る

日本女子大学校における御前講義(日本薬報)

長井長義を知る
長井長義を知る

長井が逝去後に伝達された聖セブルクロ勲一等大十字章とその勲記(羊皮紙にラテン語で印刷されている)

長井長義を知る

昭和2年10月17日、長井はドイツ薬学会、化学会合同歓迎会に招かれた。席上、ホフマンの肖像を鋳したプラケッテが授与され、ドイツ薬学会名誉会員に推挙された。東京空襲を受けたため、黒ずんでいる。

長井長義を知る

晩年、長井が使用した名刺

長井長義を知る

 121  
長井長義を知る

 111120   

◎渋谷雅之プロフィール

昭和17年高知県に生まれ、徳島大学薬学部・京都大学大学院薬学研究科に学び、京都大学助手、徳島大学助教授を経て平成元年同教授。平成9年同薬学部長。平成13年から、徳島大学副学長(研究担当)。平成19年徳島大学退職。退職後は、郷里高知県の近世史に関する本を執筆するなどして楽しむ。

◎写真撮影 湯本一生