吉野熊野国立公園の父・岸田日出男
[2022年3月1日]
大淀町では、2016年度より「吉野熊野国立公園の父」と呼ばれた郷土ゆかりの偉人・岸田日出男(1890-1959)の遺した資料を保存・活用するプロジェクトを推進しています。
ここではその概要を紹介します。
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「岸田日出男の遺したもの ダイジェスト版」(別ウインドウで開く)
個別の映像をご覧いただくには、3.[大淀町指定 有形文化財(歴史資料)]岸田日出男関係資料・35mmフィルム4巻をご覧ください。
岸田日出男(1890-1959)
【参考文献】
添付ファイル
2016年12月、岸田日出男が暮らした奈良県吉野郡大淀町北六田の自宅から、多くの歴史資料とともに古びた映画フィルム4巻が発見されました。そのフィルムに遺されていたのは、今からおおよそ100年前にさかのぼる吉野・熊野の原風景でした。最古のものは、大正11年(1922)8月に撮影された、大峯奥駈道や大台ケ原の映像であることが判明しました。現在のところ、奈良県内を撮影した最古の映像となる可能性があります。これらのフィルム4巻は、令和3年(2021年)8月31日、大淀町の指定文化財となりました。
大淀町ではこれらのフィルムを保存・活用するプロジェクトを実施しています。
以下より、デジタル化した動画をご覧いただけます。
「岸田日出男の遺したもの ダイジェスト版」(別ウインドウで開く)
吉野群峯 第2巻(八経ヶ岳~前鬼 大峯奥駈道)
吉野群峯 第3巻(大台ケ原~川上村大滝)
大正11年(1922)8月、内務省衛生局の撮影隊は大峯山系・大台ケ原の映像をカメラにおさめました。岸田も吉野郡役所の職員として、撮影隊に同行していました。
それを編集したサイレント映画「吉野群峯(全3巻)」は、吉野地域を映像化した現存最古の作品です。今回みつかったのは全3巻のうち第2巻(八経ヶ岳~前鬼 大峯奥駈道)と第3巻(大台ケ原~川上村大滝)です。
「岸田日出男の遺したもの 吉野群峯・第2巻(1922年)」(別ウインドウで開く):15分44秒
「岸田日出男の遺したもの 吉野群峯・第3巻(1922年)」(別ウインドウで開く):8分48秒
大正12年(1923)の8月、東京の撮影技師が吉野郡十津川村の依頼をうけて撮影したサイレント映像の一部です。岸田もこの撮影隊に同行していました。
その映像には、奈良・三重・和歌山県の三県にまたがる瀞峡(特別名勝・天然記念物の瀞八丁)が登場します。そそり立つ岸壁や川下りの舟、いかだ流しのようすなど、おおよそ百年前の瀞峡が記録された貴重な映像です。
「岸田日出男の遺したもの 瀞八丁実写(1923年)」(別ウインドウで開く):7分47秒
昭和12年(1937)の作品です。鉄道省の企画で製作され、J・O・スタヂオが撮影と編集を、日本ビクター管弦楽団が音楽を担当しています。
フィルム撮影は、吉野熊野国立公園が指定をうけた後、昭和11年から12年にかけておこなわれたようです。
映像は、和歌山県南端の串本から始まり、那智・新宮・瀞峡・本宮をへて三重県熊野市にいたります。南紀熊野の名所や人々の暮らしが、ナレーションにあわせて紹介されています。
「岸田日出男の遺したもの 熊野路(1937年)」(別ウインドウで開く):12分31秒
岸田日出男がのこしたニホンオオカミ頭骨標本
大淀町では、戦前の映画フィルムや、戦後(約50年以上前)の古い映画フィルムが、奈良県内にどのくらい残っているのかを調べています。つきましては、みなさまの情報をお寄せいただければ幸いです(年代のわからないフィルムでもかまいません)。
古い映画フィルムは、経年による劣化が懸念されます。また、そのほとんどは可燃性の材料で作られているため、放置しておくと発火する恐れがあります。できるだけ多くの方々に、古い映画フィルムのもつ価値と、所在調査の重要性を知っていただきたくためにも、みなさんのご協力をお願いします。
業務時間:午前8時30分~午後5時15分(土曜日・日曜日・祝日・年末年始を除く)