モリエール劇団: Troupe de Molière )は、17世紀フランスに存在した劇団。国立劇場コメディ・フランセーズの前身のひとつ。同劇場が「モリエールの家」と呼ばれる所以は、この劇団のメンバーを中心として創設されたことにある。

座長:モリエール

歴史

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デュフレーヌ劇団(1645~1658年)

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デュフレーヌ劇団の南フランス巡業の軌跡

16431645164546[1][2][3][4]

16501653[5][2][6]

165316561116571[7][8][9][10]

1658[8][8]13[11]

1658791141殿(Troupe de Monsieur)[12]

殿1658102414使165811230[13][8][14]

モリエール劇団(1659年~1673年)

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5簿[15][16]

ゲネゴー座王立劇団(1673年~1680年)

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1673使[17]

1679[18]

主な劇団員

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コメディ・フランセーズ創設時までにデュフレーヌ、モリエール、ゲネゴー劇団に在籍していた主な役者を挙げる。「席次」はコメディ・フランセーズでの席次。

芸名 本名 在籍期間 備考 席次
盛名座結成時からの団員
  モリエール
Jean-Baptiste Poquelin 1645-1673年 デュフレーヌ退団後の座長。
  マドレーヌ・ベジャール
Madeleine Béjart 1645-1672年 モリエールの初めての恋人。モリエールは彼女と出会ったために演劇の道に足を踏み入れたともいわれるほどで、それ以来、生涯彼とともに苦楽を共にした団員の1人。盛名座のころから中心的役者であったが、モリエール劇団でも美貌を活かして看板役者となった。モリエールの妻・アルマンド・ベジャールの母親とも姉ともいわれるが、関係はわかっていない。モリエールが死去するちょうど1年前にこの世を去った。彼女の死は、モリエールに大きな打撃を与えた[19]
ジョセフ・ベジャール
Joseph Béjart 1645-1659年 マドレーヌの兄。吃音持ちであったという。
ジュヌヴィエーヴ・ベジャール
通称エルヴェ嬢
Geneviève Béjart 1645-1675年 マドレーヌの妹。ベジャール一家は演劇一家で、芸名の重複を避けるために母親の姓(エルヴェ)を名乗っている。『ヴェルサイユ即興劇』では本人役を、『豪勢な恋人たち』ではアリスティオーヌ役を、『女学者』ではベリーズ役など、重要な役を演じている。死去まで在籍し続けるなど、姉と同じく、モリエールと生涯行動を共にした。
ジェルマン・クレラン
通称ヴィラベ
Germain Clérin 1645-1651年? 盛名座の団員の中で、解散後もベジャール一家以外で唯一モリエールと行動を共にした団員。1651年以後はオラニエ公のお抱え劇団に在籍したことが分かっているが、それ以後どのような生涯を送ったか不明。
デュフレーヌ劇団、モリエール劇団時代の加入団員
  シャルル・デュフレーヌ
Charles Dufresne 1633-1659年 デュフレーヌ劇団の座長。1633年からエペルノン公お抱え劇団の座長を務めていた。1659年に引退し、1664年に亡くなった。悲劇を得意としたという。
マドレーヌ・ド・ヴァレンヌ
Madeleine de Varannes 1645?-1648年 劇団結成時からのメンバーであったが、1648年に亡くなった。
シャトーヌフ
Châteauneuf 1647-1656年 パストラル・コミック』に同名の団員が出演した記録が残っているが、関連不明。
  ルネ・ベルトロ
通称デュ・パルク
通称グロ=ルネ
René Berthelot 1647-1664年 1630年生まれ。使用人や下僕を専門とする役者であった。未成年のうちからデュフレーヌ劇団のメンバーであったが、亡くなるまでモリエールと行動を共にした。1653年にマルキーズ・デュ・パルクと結婚したことで、彼女も劇団に加入した。彼が劇団で重要な位置を占めていたことは、モリエールの戯曲『スガナレル:もしくは疑りぶかい亭主』において「グロ=ルネ」という役名が見られることや、『ぼうやのグロ=ルネ』や『グロ=ルネの嫉妬』なる作品がタイトルのみではあるが、伝わっていることで裏付けられる[20][21]
  アルマンド・ベジャール
通称モリエール嬢
Armande-Grésinde-Claire-Élisabeth Béjart 1650-1694年 出自に謎の多い女性である。わずか10歳頃から子役として舞台を踏み、演技力を伸ばして着実に劇団の看板女優へと成長していった。1662年にモリエールと結婚。1673年のモリエール死後は、ラ・グランジュと共に一座を率い、マレー座の役者たちを吸収してゲネゴー座を結成し、人気劇団にまで押し上げた。1677年にゲラン・デストリシェと結婚。コメディ・フランセーズでは創設メンバーとなり、1694年に引退した[22][23][24] 4番
ルイ・ベジャール
Louis Béjart 1650-1670年 守銭奴』でラ・フレーシュ役を演じるなどしたが、40歳で1670年に引退。1000リーヴルの年金を劇団から贈られた[25]
  エドム・ヴィルカン
通称ド・ブリー
Edme Villequin 1650-1676年 カトリーヌ・ド・ブリーの夫。自分の妻にモリエールが言い寄り、愛人関係となったことに対して当然怒りを見せてもよいはずだが、残された資料にはそのような記述は一切出てこない。当時の役者たちは性的に放縦であったので相当に寛大な男であったのかもしれないし、単に文句も言えない頼りない男であっただけなのかもしれない。ちなみに、モリエールが困って追い出そうとするほどの大根役者であったという。配役も脇役ばかりで、目ぼしいものが1つもない[26][27]
  カトリーヌ・ド・ブリー
Catherine Leclerc du Rose 1650-1685年 1650年に夫であるエドム・ヴィルカン(芸名:ド・ブリー)とともに、モリエールの劇団に加入した。美貌の持ち主で、劇団の看板女優の一人となった。娘、恋人役が彼女の得意役で、特に『女房学校』のアニェス役は55歳になっても演じていたというほどである。アニェスは本来無邪気で子供らしさの残る女性役で、50歳を超える淑女が演じるべき役ではないが、歳を重ねても若々しくあったのだと思われる。看板女優にふさわしく、モリエールの戯曲のほとんどで何らかの役を演じている[28] 1番
  マルキーズ・デュ・パルク
Marquise-Thérèse de Gorla 1653-1667年 グロ=ルネと結婚したことで、劇団に加入。彼女自身も看板女優となるなど、夫婦揃って中心的存在となった。華やかな美貌の持ち主で、モリエールをはじめ、コルネイユ、ラシーヌなど様々な男性のこころを惹きつけたという。モリエール劇団がラシーヌの作品『アレクサンドル大王』を上演したことを契機としてラシーヌと恋仲となり、彼に従ってオテル・ド・ブルゴーニュ座へ移籍したが、その1年後に急死した。彼女の死に関して、劇壇を引退していたラシーヌが逮捕されかけたなどの逸話もある[29][30]
  マリー・ラグノー
通称ラ・グランジュ嬢
Marie Ragueneau 1653-1694年 1653年に劇団に入団しているが、役者としてではなく、カトリーヌ・ド・ブリーの小間使いとしてだった。だが次第に端役を与えられるようになり、1671年の『エスカルバニャス伯爵夫人』では主役を演じている。1672年、劇団の同僚であったラ・グランジュと結婚した。1694年に引退。余談だが、彼女の父親は有名なパティシエで、かつ演劇好きとして当時有名であった。その名前はエドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』にも登場する。 6番
  ラ・グランジュ
Charles Varlet 1659-1692年 1659年に劇団に加入。『ドン・ジュアン』主役を演じたり、『人間嫌い』でアカスト役を演じるなど劇団の中心役者の1人である。彼が入団直後から私的につけ始めた『帳簿』には、劇団がパリの劇場で何を演じてどれほどの興行成績を上げたか、さらに貴族の館での私的な上演の状況や、劇団並びにその団員にとっての重大事項などが記録されており、今日においてかなり貴重な研究資料となっている。モリエールが全幅の信頼を置いていた団員であり、モリエールの死後、彼によって初のモリエール全集が1682年に刊行された。コメディ・フランセーズでは初代座長に就任。 3番
  デュ・クロワジー
Philibert Gassot 1659-1689年 1659年に夫妻揃って劇団に加入。入団直後から『才女気取り』で役を与えられ、『タルチュフ』で主役を演じた。コメディ・フランセーズ創設メンバー。1689年に引退。オテル・ド・ブルゴーニュ座で座長を務めていたベルローズは義兄にあたる。 2番
  デュ・クロワジー嬢
Marie Claveau 1659-1664年 夫とともに劇団に加入したが、あまりにひどい演技力と性格のため、1664年に劇団から追い出された。
  ジョドレ
Julien Bedeau 1659-1660年 17世紀フランスにおいて最も有名な喜劇役者の1人。弟と一緒に最晩年に劇団に加入し、『才女気取り』でも重要な役を演じたが、その翌年老衰で死去した。
  レピー
François Bedeau 1659-1663年 『才女気取り』や『スガナレル』でゴルジビュス役を演じた。『亭主学校』ではアリスト、『女房学校』でクリザルドを演じたが、60歳になった1663年に引退し、その半年後に亡くなった。
  ラ・トリリエール
François Le Noir 1662-1673年 ブレクールと共に加入。『ヴェルサイユ即興劇』や『シチリア人』で役を演じるなどしたが、モリエールの死後はオテル・ド・ブルゴーニュ座に移籍した。1年足らずで終わっているが、ラ・グランジュとは別に彼も『帳簿』をつけており、貴重な資料となっている。 21番
  ブレクール
Guillaume Marcoureau 1662-1664年 百姓役や理屈っぽい貴族役を得意としたが、1664年にオテル・ド・ブルゴーニュ座に移籍した。 29番
アンドレ・ユベール
André Hubert 1664-1685年 ブレクールが移籍してしまったので、その代わりにマレー座から加入した。百姓から国王まで幅広く演じた。 5番
  ミシェル・バロン
Michel Baron 1665,1670-1673年 幼いころから劇団に加入し、子役として人気を博した後、1665年にモリエール劇団に加入した。モリエールは彼を大変気に入っていたらしく、その時準備していた新作『メリセルト』で重要な役を割り振るなどして熱心に演技指導をしたため、それを見たモリエールの妻アルマンド・ベジャールが嫉妬心を起こしてバロンを平手打ちしたために、バロンも怒って退団してしまった。再びモリエール劇団に加入するのは1670年、モリエールが国王の協力を得てサヴォワ大公に所属していた劇団から引き抜いたことによる。モリエールの死後、オテル・ド・ブルゴーニュ座に移籍[31] 16番
ボーヴァル
Jean Pitel 1670-1673年 バロンより2か月遅れて、同じくサヴォワ大公の劇団から1670年に加入。モリエール死後はオテル・ド・ブルゴーニュ座に移籍。コメディ・フランセーズ創設メンバー。 17番
ボーヴァル嬢
1670-1673年 夫とともにサヴォワ大公の劇団から1670年に加入。『町人貴族』のニコルや『病は気から』のトワネットを演じて成功を収めた。1673年のモリエールの死後は再び夫婦揃ってオテル・ド・ブルゴーニュ座に移籍[31] 18番
ゲネゴー座時代の加入団員
ヴェルヌイユ
Achille Varlet 1673-1684年 ラ・グランジュのいとこ。マレー座に入団したが、すぐにゲネゴー座に移籍した。コメディ・フランセーズ創設メンバー。 11番
ドーヴィリエ
Nicolas Dorné 1673-1690年 マレー座在籍中にドーヴィリエ嬢と結婚。そのままゲネゴー劇団に移籍。 9番
ドーヴィリエ嬢
Victoire-Françoise Poisson 1673-1680年 オテル・ド・ブルゴーニュ座の主要役者であったレーモン・ポワッソンの娘。1680年に演劇界から引退し、1718年までコメディ・フランセーズでプロンプターを務めた[32]
ゲラン・デストリシェ
Issac-François Guérin d'Estriché 1673-1717年 長い地方劇団での生活を送った後、マレー座に移籍してそのままゲネゴー劇団に加入した。1677年にアルマンド・ベジャールと結婚し、1子を儲けたが1708年に死亡している。1717年に引退した[32] 10番
ロジモン
Claude de La Rose 1673-1717年 いつ頃演劇界に飛び込んだのかよくわからない。1669年頃か。喜劇作家でもある[32]。コメディ・フランセーズ創設メンバー。 7番
  シャンメレ
Charles Chevilet 1679-1701年? 1665年に役者生活を開始。1666年に結婚し、夫妻揃って1679年にゲネゴー座に移籍。喜劇作家でもあったようだ。 14番
  シャンメレ嬢
Marie Desmares 1679-1698年 17世紀における最も有名な女優の1人。1666年に故郷ルーアンで、シャンメレと結婚し、地方劇団やマレー座で修業を積んだ後にオテル・ド・ブルゴーニュ座に加入した。『アンドロマック』再演の際の、彼女の演技、特に声の魅力にラシーヌは惹かれたらしく、それ以後のラシーヌの悲劇作品では全て主役を務め、大成功を収めている。デュ・パルクのときと同様にラシーヌが仔細に亘って演技指導を彼女にしたらしいが、女優としての評価は、同時代人の証言が食い違っているためによくわからない。ラシーヌが劇壇から引退すると、彼女は二流劇作家の作品に出演しなければならなくなり、彼女の持ち味も消えてしまった。1679年にゲネゴー座に移ったが、ゲネゴー座とオテル・ド・ブルゴーニュ座の合併によって1680年にコメディ・フランセーズが創設された。コメディ・フランセーズのこけら落とし演目では、主役を演じている。死の数か月前まで華々しく活躍したという[33] 15番

参考文献

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  • 片山, 正樹 (1958), モリエールの実生活と劇作 : 彼の女性関係をめぐって,人文論究 9(3), 関西学院大学 
  • 辰野隆, 他訳 (1963), モリエール名作集, 白水社 
  • 鈴木力衛, 辰野隆訳 (1965), 世界古典文学全集47 モリエール, 筑摩書房 
  • 日本フランス語フランス文学会編 (1979), フランス文学辞典,日本フランス語フランス文学会編, 白水社 
  • 鈴木康, (鈴木康司) (1999), わが名はモリエール, 大修館書店 
  • ギシュメール, 廣田昌義、秋山伸子編訳 (2000), モリエール全集1, 臨川書店 
  • ギシュメール2, 廣田昌義、秋山伸子編訳 (2000), モリエール全集2, 臨川書店 
  • ギシュメール8, 廣田昌義、秋山伸子編訳 (2001), モリエール全集8, 臨川書店 
  • 村瀬, 延哉 (2001), コルネイユとマルキーズ・デュ・パルク:Pierre Corneille et Marquise Du Parc,広島大学総合科学部紀要. III, 人間文化研究 Vol.10, 広島大学 
  • 研究会, 「十七世紀演劇を読む」編 (2011), フランス十七世紀の劇作家たち (中央大学人文科学研究所研究叢書 52), 中央大学出版部 

脚注

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