三億円事件

1968年に日本の東京都府中市で発生した窃盗事件

19684312103[1]197550121025019881210
三億円事件 
場所 東京都府中市
座標

北緯35度41分10.1秒 東経139度28分24.2秒 / 北緯35.686139度 東経139.473389度 / 35.686139; 139.473389座標: 北緯35度41分10.1秒 東経139度28分24.2秒 / 北緯35.686139度 東経139.473389度 / 35.686139; 139.473389

標的 金融機関の現金輸送車
日付 1968年昭和43年)12月10日
午前9時21分頃
午前9時21分頃 – 午前9時24分頃(約3分間の犯行)
概要 現金輸送車に積まれた約3億円の現金が白バイ警察官に扮した男に奪われた窃盗事件。犯人逮捕には至らず、1975年(昭和50年)12月10日に公訴時効が成立し未解決事件となった。
攻撃手段 現金輸送車に対する偽装捜索および銀行員に対する偽装待避命令
攻撃側人数 1名
武器 発煙筒(ダイナマイトに偽装)
死亡者 なし
負傷者 なし
被害者 日本信託銀行国分寺支店
損害 現金2億9430万7500円
犯人 不明(共犯者の有無も不明)
容疑 窃盗罪
動機 金銭目的
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日本犯罪史において最も有名な事件に数えられ、「劇場型犯罪」でありながら完全犯罪を成し遂げ、フィクションノンフィクションを問わず多くの作品で取り上げられている。

概要

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当時の現金輸送車にはセダン型の自動車が使われていた(写真は現金輸送車と同型の日産・セドリック)。

4525[2]29,4307,500[3]

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貨幣価値

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20203[2]2014263.510[6]

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経緯

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[4]

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多磨農協脅迫事件

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遺留品

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犯人が犯行現場などに残した遺留品が124点もあったことから、捜査本部では犯人検挙について当初は楽観的ムードが漂っていた。ところが、遺留品や盗難品は一般市場に大量販売された大量生産品であったため、販売ルートから犯人を特定することは困難を極めた。捜査は大量生産時代の壁に突き当たってしまった。犯人の主な遺留品を「第一現場」「第二現場」「第三現場」「第四現場」「脅迫状」「2つ雑誌」に分類して以下に記述する。

第一現場

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偽装白バイ関連の遺留品

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発煙筒関連の遺留品

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第二現場

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東京都国分寺市西元町の国分寺史跡・七重塔跡近くの墓地入口および武蔵国分寺跡クヌギ林が「第二現場」と呼ばれている。現金輸送車が乗り捨てられていた場所である。現金輸送車の中に現金およびジュラルミンケースは残されていなかった。第二現場では、事件当日の朝に濃紺のカローラ(第2カローラ)が駐車しているところを近隣の住人に目撃されていたことから、犯人は犯行現場で奪った現金輸送車を第二現場まで運転し、現金の入ったジュラルミンケース3個をあらかじめ用意していた「第2カローラ」に移し変えて逃走したと考えられた。犯人の「逃走車への乗換」という計略を捜査当局が早期に見抜けなかったことが、検問などの初動捜査で犯人を検挙できなかった一因である。

第三現場

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第四現場

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脅迫状

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銀行に脅迫状を送付した封筒に貼られた切手唾液の痕跡があり、B型の血液型が検出されている。また、脅迫状は雑誌の切り貼りと手書きで文章を作成していたが、その雑誌が発炎筒の巻紙に使われた雑誌と完全一致したことから、脅迫状を送った犯人と現金強奪犯が同じであることが明らかになった。

多磨農協脅迫事件と日本信託銀行脅迫事件の両事件で送られてきた脅迫状の文面の特徴として以下の特徴があった。

  • 「ウンテンシャ」「イマ一度の機会」など特定の業種が使う言葉を使用
  • 語句と語句の間を分ける「わかち書き」の使用
  • 強調語句の右隣に「●―●―●」という記号を使用
  • 「オレタチ」「我々」などの複数犯を思わせる記述
  • 「コン柱オキバ」など電話関係者の業界用語の使用
  • 多磨農協職員の車のナンバーを特定している記述

2つの雑誌

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脅迫状の作製と発炎筒の加工には「近代映画」と「電波科学」という2つの雑誌が使われていた。「近代映画」のページから文字を切り抜いて脅迫文を作製し、「電波科学」からは文字の切り取り以外に付録のページ全体を切り取り、発煙筒の外側に巻いていた。捜査本部は、2つの雑誌の読者層を分析して犯人を捜査した。しかし、2つの雑誌の読者の趣向は両極端であり、これらの雑誌を販売している書店に聞き込みをしても、2つの雑誌を同時に購読する読者は皆無で、結局犯人に辿り着けなかった。

捜査本部は、その後の捜査で「電波科学」の読者にとって一番重要だった「配線図」のページが犯行に使用されていたことから、本来の読者であれば違うページを使用した蓋然性が高いと推理した。犯人は捜査を撹乱するため、無作為に2冊の雑誌を入手して犯行に使用したものと結論付け、雑誌に関する捜査を打ち切った。

実行犯に関する目撃証言

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捜査

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モンタージュ写真による捜査

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[4]

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ローラー作戦

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2


その他の捜査

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犯人像

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[4]
  • シートを引きずったままの偽白バイで犯行に及ぶなど、複数犯であれば考えにくいミスをおかしている。
  • 共謀者がいれば実施されていたであろう、逃走の成功を左右しかねない対向車を排除する措置が犯行現場の周辺で執られていない。
  • 手に入れた大金の配分を巡る争いが行われた形跡がない。

立川グループ

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事件当時、立川市内で車両窃盗を繰り返した非行少年たち。その中でも、以下のメンバー2人が捜査線上に挙げられている。

少年S

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19





[4]

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[4]







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[4]

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[4]

少年Z

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18



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ゲイボーイ

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KK

府中市の運転手

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20089[10]

日野市三兄弟

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3129264

不動産会社社員

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32121600

会社役員

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P131955113P1

自称三億円事件犯人

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12


事件を扱った主な作品

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小説

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演劇

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 (2010109Berryz)

映画

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テレビドラマ

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音楽

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 ALFIETHE ALFEE - 便1975EMI20141217+240

  1969

 1975

1  - 使2001CD

  - 

漫画

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1969 - 使

︿19706

1975 - 

︿197551(1222)

3 !!︿197551

 ︿197549(121)19762(15)

  2010-2015 - 21

: :2012-2018 - 

 : :MUSASHI ︿+20181229 - 20191230 - 

パロディ・オマージュ

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X  1992 - 



  - 稿41

 - 

  - 12!?197817!?1978調

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簿  - FILE 12 1995

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  1971 - 

 1975 - 

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2006 - 7!

10!-2006 - 

DVD20



BS-TBS/2010 - Berryz 

姿

事件のモデルになったと言われた作品

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その他の関連する企画

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府中市のタクシー会社が、解説付きで事件の現場をたどるツアーを、事件発生から50年目の2018年に実施した[1]

脚注

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注釈

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(一)^ 

(二)^ 196593100

(三)^ 20115659953

(四)^ 350R122CP77CB7742CB35042

(五)^ 

(六)^ 119

(七)^ 使使

出典

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(一)^ ab350  . web.archive.org (2018128). 2022731

(二)^  1968-69200612840ISBN 4784509356 

(三)^  20051234ISBN 4286004619 

(四)^ abcdefghijkl3. YOMIURI ONLINE (2018127). 20181213

(五)^ 3 . . 2022109

(六)^ 401 :  Bank of Japan. www.boj.or.jp. 2022731

(七)^   ︿1980152

(八)^  

(九)^ !

(十)^ 2008121839!

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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