立憲政友会本部放火事件

立憲政友会本部放火事件(りっけんせいゆうかいほんぶほうかじけん)とは、1919年(大正8年)10月7日午前1時ごろ、東京市芝区芝公園五号地(現在の東京都港区芝公園一丁目)に所在した立憲政友会本部が放火され、焼失した事件である。

事件の概要

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出火の発見

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被害

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立憲政友会本部の焼失によって、党運営に関係する書類などの重要資料、肖像画や調度品などの什器が焼失した[3]ほか、政友会本部建物が全焼し、被害額は金10万円(当時)相当といわれている[2]

この事件によって焼失した政友会本部を構成する建物は、1889年(明治22年)ごろ、京橋区築地に移転した水交社元所有の建物であり、その後、国民協会本部、東京市会議員である檜山鉄三郎の個人所有、憲政党本部と、その所有が移り、最終的に立憲政友会本部の建物となったとされている[2]

立憲政友会の対応

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78[2]

犯罪捜査の開始

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初期捜査

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被疑者の逮捕

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事件の経緯

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[6]

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刑事裁判

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予審

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桂虎次郎・渡邊芳造に対する鑑定留置処分

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167[6]

公判

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判決

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1921年(大正10年)2月3日、東京地方裁判所における審理の終了によって、被告人河本恵治に対して懲役15年、被告人渡邊芳造に対して懲役2年執行猶予3年の判決が下された[7]

脚注

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参考文献

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  • 警視庁 (1970) 『警視庁年表』(増補・改訂版) p.79
  • 原敬・原奎一郎(著)、原奎一郎(編) (1950) 『原敬日記』〔第8巻〕(首相時代篇・上)
  • 立憲政友会史編纂部(編) (1926) 『立憲政友会史』〔第四巻〕 p.574-575

注釈

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  1. ^ 望月幹事長による証言であり、取材にあたった東京朝日新聞社に対して、『前日何の会合も無かつたし無論火元の調査室には火鉢も無い何ても四五日前修繕の為め電燈工夫が入つた…』と証言している。(東京朝日新聞 1919年10月8日付朝刊より)

出典

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  1. ^ a b 大阪朝日新聞 1919年(大正8年)10月7日付号外
  2. ^ a b c d e f g h 東京朝日新聞 1919年(大正8年)10月8日付朝刊 5頁
  3. ^ a b 立憲政友会史編纂部 『立憲政友会史』〔第四巻〕 p.574
  4. ^ 東京朝日新聞 1919年(大正8年)11月8日付朝刊 5頁
  5. ^ a b c 東京朝日新聞 1919年(大正8年)11月10日付朝刊 9頁
  6. ^ a b c d 読売新聞 1919年(大正8年)12月28日付朝刊 5頁
  7. ^ 東京毎日新聞 1921年(大正10年)2月4日付朝刊

関連項目

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