郡衙

日本の古代律令制度の下で、郡司が政務を執った役所

[1]

概説

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殿殿宿



調



9退

1878

各地の郡衙

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新治郡衙

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11112西鹿鹿 [1][2]194116194318調5125西9134西1213×91087448×14西西17×17514×144西324 [2][3]

志太郡衙

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駿駿西130×120197752(30)26919805510西西西西[4]

嶋上郡衙

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西()西1970455調1971465西810[5]

その他

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殿89

調西541144

4駿

郡衙遺跡一覧

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正道官衙遺跡

推定されているものが多い中、発掘される例もあり、次第に国史跡などに指定される例も出てきている。

東北地方

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 - 

 - 

 - 鹿

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 - 

 - 

 - 

関東地方

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 - 西

 - 鹿鹿

 - 

 - 

 - 

 - 

 - 

 - 

 - 

 - 

宿 - 

 - 

殿 - 

 - 

 - 

西 - 

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中部地方

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 - 

近畿地方

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中国地方

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四国地方

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九州地方

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脚注

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注釈

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  1. ^ 水戸藩の学者中山信名は、『新編常陸国誌』で礎石・瓦多い所が昔の郡庁があったところであると述べている。

出典

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  1. ^ 岡本厚『岩波講座 日本歴史 第2巻』岩波書店 p185
  2. ^ a b 阿久津久「新治郡衙跡」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 91-92ページ
  3. ^ 糸賀茂男「常総のまつりごと 文化のあけぼのから兵の世へ」 長谷川伸三・糸賀茂男・今井雅晴・秋山高志・佐々木寛司『茨城県の歴史』山川出版社 1997年6月 33-37ページ
  4. ^ 八木勝行「志太郡衙跡」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 95-97ページ
  5. ^ 堀江門也「嶋上郡衙跡」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第4巻 古代1』同朋舎出版 1991年 98-99ページ

関連項目

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