「万治の石仏」の版間の差分
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== 関連項目 == |
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*[[下諏訪町#名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事|下諏町の名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事]] |
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2023年8月10日 (木) 22:22時点における版
萬治の石佛 | |
正面から | |
製作年 | 1660年(万治3年) |
---|---|
種類 | 石仏 |
素材 | 安山岩(含角閃石普通輝石安山岩) |
寸法 | 2.6 m × 3.8 m (100 in × 150 in) |
所蔵 | 長野県諏訪郡下諏訪町東山田字石仏 |
ウェブサイト | 万治の石仏(下諏訪町) |
概要
伝承
﹁万治の石仏﹂には、造立にまつわる以下の伝承がある。 1657年︵明暦3年︶に第3代諏訪高島藩主の諏訪忠晴から諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を立てるよう命じられた石工が、現在石仏となっている大石を材料にしようと鑿を入れたところ、そこから血が出てきたため祟りを恐れて作業を中止した[1][2]。その晩に夢枕で上原山︵現在の茅野市︶に良い石材があると告げられた石工が探しに行くとその通りであり、同山の石で鳥居を造る代わりに大石を阿弥陀如来として祀ったという[1][2]。石仏に残る鑿の跡はその時のものとされる[1]。伸びる首
1991年︵平成3年︶8月に一度頭部が落下したため支柱で固定し修復したが、その後、ある写真家が毎年撮った写真を見たところ、首が伸びていることがわかった。2007年︵平成19年︶にテレビ番組で紹介され、観光客も増えたが、下諏訪観光協会は﹁周辺の安全確保﹂ためとして再修復することとし、2008年︵平成20年︶3月4日に修復作業が行われ、頭部の下から水や泥、賽銭25円が発見された。首が伸びた原因は、以前の修復時に設けた支柱に水が溜まり、氷になって斜めになり、その繰り返しで頭部が上昇したとされる。修復前に測定したところ、正面で4cm、左右は6~7cm上昇していた。ギャラリー
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前方
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後方
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顔
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印
アクセス
周辺
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
- 万治の石仏 - 下諏訪観光協会
- 登録1326194 万治の石仏 - 特許情報プラットフォーム
- ウィキメディア・コモンズには、万治の石仏に関するカテゴリがあります。
座標: 北緯36度4分58.57秒 東経138度4分54.98秒 / 北緯36.0829361度 東経138.0819389度