上田自由大学
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上田自由大学︵うえだじゆうだいがく︶とは、大正時代から昭和時代初期にかけて長野県上田市に存在した教育機関。働く民衆の自由な意志による大学創造という理念を掲げ、長野県を中心に組織された自由大学運動の中心かつ先駆的機関であった。上田自由大学は地元小県郡内の青年団や婦人会の講習会に淵源をもち、大正自由教育運動の影響を受けた教育熱の高まりとともに起こった教育運動を基として、地域住民により自主的に設置された教育機関である。校名に大学が含まれているものの正規の大学ではなかった。講師には蠟山政道・河合栄治郎・平野義太郎・タカクラ・テル・有馬頼寧・市川房枝ら各分野で活躍し、他の大学でも教鞭をとっている著名な人物が招かれていた。授業を受けるのに必要であった学費は決して安くはなかったが、それでも数多くの熱心な受講生が集まり数年にわたって機関を成り立たせていた。講座の中には期間が短期に定められていたことから、他の大学でならば一年をかけて行っていた講義を一週間で終わらせていたという例も存在した。この大学に続いて各地で自由大学と名づけられた類似した複数の教育機関が開校した。
沿革
関連項目
- 土田杏村
- 自由大学運動の提唱者。
- 北向観音
- 北向観音の本坊である常楽寺の本堂が住職半田孝海の協力により講義・学習会場に提供された。講師を務めたタカクラ・テルは常楽寺境内にあった離れに居を構えていた。
- 塩田町
- 長野大学