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'''中村電気軌道株式会社'''︵中村電氣軌道株式會社、なかむらでんききどう︶は、かつて[[愛知県]][[名古屋市]]において[[路面電車]]・[[バス (交通機関)|バス]]を運営していた[[企業]]︵[[株式会社]]︶である。[[1936年]]︵昭和11年︶に名古屋市電気局︵後の[[名古屋市交通局]]︶に事業を譲渡して[[解散]]した。
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'''中村電気軌道株式会社'''︵中村電氣軌道株式會社、なかむらでんききどう︶は、かつて[[愛知県]][[名古屋市]]において[[路面電車]]・[[バス (交通機関)|バス]]を運営していた[[企業]]︵[[株式会社]]︶である。[[1936年]]︵[[昭和]]11年︶に名古屋市電気局︵後の[[名古屋市交通局]]︶に事業を譲渡して[[解散]]した。
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運営していた電車は「中村電車」、バスは「中村バス」と呼ばれた<ref name="区史">『中村区史』、pp221-222</ref>。 |
運営していた電車は「中村電車」、バスは「中村バス」と呼ばれた<ref name="区史">『中村区史』、pp221-222</ref>。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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* [[1911年]](明治44年)9月 - 名古屋土地株式会社設立。 |
* [[1911年]](明治44年)9月 - 名古屋土地株式会社設立。 |
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* 同年[[12月27日]] - 明治橋・中村公園前間の軌道敷設[[特許 (行政法)|特許]]を申請。 |
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* [[1912年]](大正元年)[[9月20日]] - 軌道敷設特許を取得。 |
* [[1912年]](大正元年)[[9月20日]] - 軌道敷設特許を取得。 |
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* [[1913年]](大正2年)[[10月17日]] - 軌道部により、明治橋・中村公園間が開業。 |
* [[1913年]](大正2年)[[10月17日]] - 軌道部により、明治橋・中村公園間が開業。 |
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|1936||124,843||5,798||16,354||▲ 10,556||自動車21,209||償却金1,900||993 |
|1936||124,843||5,798||16,354||▲ 10,556||自動車21,209||償却金1,900||993 |
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*鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版 |
*鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版 |
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電車は、定員34人の木造[[二軸車 (鉄道)|単車]]4両︵1 - 4号︶、定員42人の木造単車4両︵7 - 10号︶、定員58人の木造[[付随車|付随]][[ボギー台車|ボギー車]]2両︵5・6号︶があった。1 - 4号は1913年、5・6号は1914年、7 - 10号は1925年に登場した。いずれも整備状況が悪く稼働率は低かったといわれ、名古屋市に移管された後の1936年6月に[[廃車 (鉄道)|廃車]]の届出がなされている。
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電車は、定員34人の木造[[二軸車 (鉄道)|単車]]4両︵1 - 4号︶、定員42人の木造単車4両︵7 - 10号︶、定員58人の木造[[付随車|付随]][[ボギー台車|ボギー車]]2両︵5・6号︶があった。1 - 4号は1913年、5・6号は1914年、7 - 10号は1925年に登場した。いずれも整備状況が悪く稼働率は低かったといわれ、名古屋市に移管された後の1936年6月に[[廃車 (鉄道)|廃車]]の届出がなされている。
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Nagoyatochi No.6.jpg|車体中央部に扉を設けた6号付随電車 |
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Inside of Nagoyatochi No.6.jpg|6号の内部。出入り台中央部にブレーキハンドルを備える。 |
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== バス事業 == |
== バス事業 == |
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: [[1915年]]︵大正4年︶[[12月27日]]に申請した区間。中村大字上中木賊から西へ進み、庄内川・[[新川 (庄内川水系)|新川]]を渡って北上、[[甚目寺町]]︵現・[[あま市]]︶へ至る、5. 1kmの路線であった。名古屋電気鉄道津島線︵現・[[名鉄津島線|名古屋鉄道津島線]]︶と競合し、2つの河川への架橋に多額の費用を必要とするため完成が疑わしいと判断され[[1916年]]︵大正5年︶[[3月2日]]に不許可となった。
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: [[1915年]]︵大正4年︶[[12月27日]]に申請した区間。中村大字上中木賊から西へ進み、庄内川・[[新川 (庄内川水系)|新川]]を渡って北上、[[甚目寺町]]︵現・[[あま市]]︶へ至る、5. 1kmの路線であった。名古屋電気鉄道津島線︵現・[[名鉄津島線|名古屋鉄道津島線]]︶と競合し、2つの河川への架橋に多額の費用を必要とするため完成が疑わしいと判断され[[1916年]]︵大正5年︶[[3月2日]]に不許可となった。
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; 稲葉地 - 大正橋間 |
; 稲葉地 - 大正橋間 |
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: 太閤通から[[豊国神社 (名古屋市)|豊国神社]]の参道へと路線が折れる稲葉地を起点とし、庄内川に架かる[[大正橋]]の東を終点とする、1.8kmの区間。[[1920年]]︵大正9年︶[[2月10日]]に特許を得て<ref>[{{NDLDC|2954369/6}} ﹁軌道特許状下付﹂﹃官報﹄1920年2月13日]︵国立国会図書館デジタルコレクション︶</ref>工事施工の認可も下りたが、着工できず[[1935年]]︵昭和10年︶[[11月18日]]に失効<ref>[{{NDLDC|2959143/8}} ﹁軌道特許取消﹂﹃官報﹄1935年11月18日]︵国立国会図書館デジタルコレクション︶</ref>。
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: 太閤通から[[豊国神社 (名古屋市)|豊国神社]]の参道へと路線が折れる稲葉地を起点とし、庄内川に架かる[[新大正橋 (名古屋市・大治町)|大正橋]]の東を終点とする、1.8kmの区間。[[1920年]]︵大正9年︶[[2月10日]]に特許を得て<ref>[{{NDLDC|2954369/6}} ﹁軌道特許状下付﹂﹃官報﹄1920年2月13日]︵国立国会図書館デジタルコレクション︶</ref>工事施工の認可も下りたが、着工できず[[1935年]]︵昭和10年︶[[11月18日]]に失効<ref>[{{NDLDC|2959143/8}} ﹁軌道特許取消﹂﹃官報﹄1935年11月18日]︵国立国会図書館デジタルコレクション︶</ref>。
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; 明治橋 - 笹島町間 |
; 明治橋 - 笹島町間 |
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: 1920年[[2月2日]]に申請した区間。明治橋から笹島町までの0.9kmの区間で、笹島町で名古屋電気鉄道の市内線<!--原文﹁市電﹂-->に接続する計画であった。[[1922年]]︵大正11年︶[[9月14日]]に返付された。
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: 1920年[[2月2日]]に申請した区間。明治橋から笹島町までの0.9kmの区間で、笹島町で名古屋電気鉄道の市内線<!--原文﹁市電﹂-->に接続する計画であった。[[1922年]]︵大正11年︶[[9月14日]]に返付された。
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* 井戸田弘 『東海地方の鉄道敷設史 2』 井戸田弘、2006年 |
* 井戸田弘 『東海地方の鉄道敷設史 2』 井戸田弘、2006年 |
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* {{Cite book|和書|author= |
* {{Cite book|和書|author=今尾恵介(監修)|authorlink=今尾恵介|title=[[日本鉄道旅行地図帳]]|volume=7号(東海)|publisher=[[新潮社]]|year=2008|isbn=978-4-10-790025-8}} |
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* 中村区制十五周年記念協賛会編集 『中村区史』 中村区制十五周年記念協賛会、1952年 |
* 中村区制十五周年記念協賛会編集 『中村区史』 中村区制十五周年記念協賛会、1952年 |
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* [[名古屋市交通局]]編 『市営五十年史』 名古屋市交通局、1972年 |
* [[名古屋市交通局]]編 『市営五十年史』 名古屋市交通局、1972年 |
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[[Category:名古屋市の歴史]] |
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[[Category:1926年設立の企業]] |
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[[Category:1936年廃止]] |
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[[Category:戦前の名古屋]] |
2023年10月21日 (土) 03:11時点における最新版
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明治橋終点 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
![]() 愛知県名古屋市西区日比津町字道下304[1] |
設立 | 1926年(大正15年)1月27日[1] |
業種 | 鉄軌道業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業、不動産、バス事業[1] |
代表者 | 社長 藍川清成[1] |
資本金 | 480,000円(払込額)[1] |
特記事項:上記データは1935年(昭和10年)4月1日現在[1]。 |
路線概略図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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概要[編集]
1913年︵大正2年︶10月、名古屋市に隣接した中村︵現・名古屋市中村区の一部︶における開発事業を開始した会社の名古屋土地[3][4]が、軌道部を設立して路面電車事業に乗り出したことが創始である。最初の路線は、地上駅時代の名古屋駅を跨ぐためにかけられた明治橋︵1937年︿昭和12年﹀の高架化時に撤去︶の西側を起点とし、太閤通を西進して中村公園の入口に至るものであった。鉄道事業者が不動産事業を開始した例は、1910年︵明治43年︶開業の箕面有馬電気軌道︵箕有電車、阪急電鉄の前身︶を初として徐々に現れ始めていたが、逆に不動産会社が鉄道事業を行う事例は、現在では紀州鉄道や山万などが存在するが、当時としては珍しいものであった。 1926年︵大正15年︶6月に名古屋土地から分社化された中村電気軌道の運営に代わり、そのころ後に名古屋鉄道の社長となる藍川清成が当初は取締役、続いて社長に就任した[5]。この年の電車の乗客は250万9845人であったが次第に減少し、1929年︵昭和4年︶の乗客は158万2957人となった[2]。乗客減少の要因は、駅前を発着せず不便であることと、名古屋駅前を発着し中村遊廓へ向かう他社のバスが1923年︵大正12年︶9月に運行を開始したためである[2][6]。このバスに対抗して中村電気軌道は1929年1月から名古屋駅前・中村公園間で兼営バスの運転を開始した[2][6]が、名古屋市営バスが1933年︵昭和8年︶7月に那古野町・中村公園間に路線を新設したこともあり収益は少なかった[6]。また、電車は名古屋市電より運賃が高く評判が悪かった。 1936年︵昭和11年︶5月、1935年︵昭和10年︶から進められていた市内民営交通機関の統合によって中村電気軌道は名古屋市に買収され、電車事業・バス事業は名古屋市電気局︵名古屋市交通局の前身︶に移管された。買収価格は10万1300円[2][7]。買収前の1年間の乗客は、電車が36万8290人、バスが126万9436人であった[2]。 中村電気軌道を買収した路面電車は中村線とされ、当初孤立路線であったが、東側は名古屋駅高架化に伴い笹島町まで延長され、既設の名古屋市電の路線に接続した。西側も豊国神社の大鳥居をくぐって中村公園に向かっていた区間を廃止して稲葉地町まで伸延されている。その後、中村線は1972年︵昭和47年︶2月29日まで運行を続けている。沿革[編集]
●1911年︵明治44年︶9月 - 名古屋土地株式会社設立。 ●同年12月27日 - 明治橋・中村公園前間の軌道敷設特許を申請。 ●1912年︵大正元年︶9月20日 - 軌道敷設特許を取得。 ●1913年︵大正2年︶10月17日 - 軌道部により、明治橋・中村公園間が開業。 ●1926年︵大正15年︶6月1日 - 名古屋土地軌道部が中村電気軌道株式会社として独立[8]。 ●1929年︵昭和4年︶1月 - バス事業開始。 ●1936年︵昭和11年︶5月24日 - 電車・兼営バスともに名古屋市に事業譲渡[7]。鉄道事業[編集]
保有路線[編集]
保有路線データ[編集]
●路線距離‥明治橋 - 公園前間 3.3km ●軌間‥1,067mm ●電化区間‥全線 ●架線電圧‥直流600V ●中村変電所、常用、電動発電機︵交流側2080V直流側600V︶直流側の出力150KW、製造所不明、予備、電動発電機︵交流側2080V直流側600V︶直流側の出力75KW、製造所大阪電灯[9] ●複線区間‥なし︵全線単線︶停留場[編集]
1913年10月17日時点︵開業時︶[10] 明治橋 - 笈瀬川 - 米野 - 野合 - 上中 - 稲葉地 - 公園前 ●大正中期に、米野を東米野に、野合を賑橋、上中︵初代︶を楠橋に改称。西米野・本社前・上中︵2代︶を新設[10]。 ●1923年ごろ、賑橋を大門前に改称[10]。 ●昭和初期に、東米野を藤の棚に改称[10]。 1936年5月24日時点︵市営化時︶[10] 明治橋 - 笈瀬川 - 藤の棚 - 西米野 - 大門前 - 本社前 - 楠橋 - 上中 - 稲葉地 - 公園前輸送・収支実績[編集]
年度 | 乗客(人) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
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1913 | 44,726 | 1,103 | 1,490 | ▲ 387 | 土地建物4,536利子9,953 | 家屋保存費13,573 | 1,565 |
1914 | 217,275 | 6,939 | 7,857 | ▲ 918 | 土地家屋11,352 | 土地家屋13,052 | |
1915 | 177,342 | 5,651 | 6,873 | ▲ 1,222 | 土地8,320 | 土地10,139 | |
1916 | 198,885 | 6,104 | 6,151 | ▲ 47 | 29,640 | 21,185 | |
1917 | 266,461 | 6,271 | 7,459 | ▲ 1,188 | 土地12,807 | 11,125 | |
1918 | 269,360 | 6,927 | 9,932 | ▲ 3,005 | 13,954 | 13,005 | |
1919 | 567,181 | 10,277 | 10,438 | ▲ 161 | 103,743 | 22,685 | |
1920 | 549,097 | 14,804 | 19,086 | ▲ 4,282 | 814,569 | 595,347 | |
1921 | 573,889 | 17,862 | 13,657 | 4,205 | |||
1922 | 1,045,019 | 24,279 | 13,687 | 10,592 | |||
1923 | 3,116,965 | 68,603 | 22,715 | 45,888 | 643,604 | 185,705 | |
1924 | 3,997,743 | 85,038 | 35,156 | 49,882 | 472,880、利子78,212 | 106,436 | 236 |
1925 | 3,199,641 | 82,440 | 38,687 | 43,753 | 359,872、雑益152,879 | 124,248 | 18,400 |
1926 | 2,509,845 | 106,698 | 49,039 | 57,659 | 104 | ||
1927 | 2,381,274 | 96,113 | 47,128 | 48,985 | |||
1928 | 2,113,661 | 84,985 | 61,253 | 23,732 | |||
1929 | 2,172,743 | 77,255 | 60,913 | 16,342 | 自動車6,494 | 232 | |
1930 | 1,237,387 | 47,469 | 48,330 | ▲ 861 | 自動車23,734 | 償却金13,700 | 372 |
1931 | 942,762 | 36,234 | 43,704 | ▲ 7,470 | 自動車12,115 | 償却金3,100 | 592 |
1932 | 779,509 | 29,954 | 38,033 | ▲ 8,079 | 自動車27,555 | 償却金9,500 | 545 |
1933 | 621,630 | 24,070 | 39,759 | ▲ 15,689 | 自動車26,987 | 339 | |
1934 | 467,602 | 19,088 | 36,569 | ▲ 17,481 | 自動車21,573 | 1,026 | |
1935 | 368,290 | 14,309 | 31,957 | ▲ 17,648 | 自動車21,458 | 償却金2,500 | 746 |
1936 | 124,843 | 5,798 | 16,354 | ▲ 10,556 | 自動車21,209 | 償却金1,900 | 993 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版
保有車両[編集]
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車体中央部に扉を設けた6号付随電車
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6号の内部。出入り台中央部にブレーキハンドルを備える。