「伊勢市女性記者行方不明事件」の版間の差分
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辻出の両親は娘が行方不明になって以来、知人や行きつけの店、取材先に娘の写真を配るなどして情報提供を求め、また慣れないパソコンを操作して辻出のメール仲間と連絡を取ったりして、娘の行方への手掛かりを捜していた<ref name="中日新聞19990708"/>。1999年7月初め、辻出の両親は自宅を訪れた﹃中日新聞﹄の記者に対し、娘の行方不明事件を報道するよう求め{{Efn2|同紙は行方不明の情報を入手して以来、辻出の両親に何度か接触を試みており、辻出の両親は1998年末にも自宅で同紙記者の取材を受けていたが、当時は﹁人命がかかっている﹂との理由から絶対に記事にしないよう求めていた<ref name="中日新聞19991222"/>。このため、同紙も1999年7月までは記事化を見送っていた<ref name="中日新聞19990710">﹃中日新聞﹄1999年7月10日朝刊中勢版﹁︻三重県︼﹁交差点﹂ 家族の思いに協力を﹂︵中日新聞社 楠︶</ref>。}}<ref name="中日新聞19991222">﹃中日新聞﹄1999年12月22日朝刊三重版﹁︻三重県︼この1年 回顧 みえの99年︵4︶ 年を越す難事件 女性雑誌記者行方不明 糸口なく時間経過﹂︵中日新聞社︶</ref>、同紙は両親の心境が綴られた手記などを報じた<ref>﹃中日新聞﹄1999年7月7日夕刊社会面11頁﹁女性記者不明7カ月 伊勢の出版社 車で退社後 事件?事故?公開捜査へ 三重県警 その夜知人男性と会う﹂︵中日新聞社︶</ref><ref name="中日新聞19990708">﹃中日新聞﹄1999年7月8日朝刊第二社会面30頁﹁ニュース前線 ﹁解決の糸口ほしい﹂ 三重の女性記者、不明7カ月 両親 娘の安否気遣う日々﹂︵中日新聞社 三重総局・楠佳久︶</ref>。新聞やテレビで事件が初めて報じられたのは、県警が公開手配に踏み切る約2か月前のことであった<ref name="中日新聞19991222"/>。
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辻出の両親は娘が行方不明になって以来、知人や行きつけの店、取材先に娘の写真を配るなどして情報提供を求め、また慣れないパソコンを操作して辻出のメール仲間と連絡を取ったりして、娘の行方への手掛かりを捜していた<ref name="中日新聞19990708"/>。1999年7月初め、辻出の両親は自宅を訪れた﹃中日新聞﹄の記者に対し、娘の行方不明事件を報道するよう求め{{Efn2|同紙は行方不明の情報を入手して以来、辻出の両親に何度か接触を試みており、辻出の両親は1998年末にも自宅で同紙記者の取材を受けていたが、当時は﹁人命がかかっている﹂との理由から絶対に記事にしないよう求めていた<ref name="中日新聞19991222"/>。このため、同紙も1999年7月までは記事化を見送っていた<ref name="中日新聞19990710">﹃中日新聞﹄1999年7月10日朝刊中勢版﹁︻三重県︼﹁交差点﹂ 家族の思いに協力を﹂︵中日新聞社 楠︶</ref>。}}<ref name="中日新聞19991222">﹃中日新聞﹄1999年12月22日朝刊三重版﹁︻三重県︼この1年 回顧 みえの99年︵4︶ 年を越す難事件 女性雑誌記者行方不明 糸口なく時間経過﹂︵中日新聞社︶</ref>、同紙は両親の心境が綴られた手記などを報じた<ref>﹃中日新聞﹄1999年7月7日夕刊社会面11頁﹁女性記者不明7カ月 伊勢の出版社 車で退社後 事件?事故?公開捜査へ 三重県警 その夜知人男性と会う﹂︵中日新聞社︶</ref><ref name="中日新聞19990708">﹃中日新聞﹄1999年7月8日朝刊第二社会面30頁﹁ニュース前線 ﹁解決の糸口ほしい﹂ 三重の女性記者、不明7カ月 両親 娘の安否気遣う日々﹂︵中日新聞社 三重総局・楠佳久︶</ref>。新聞やテレビで事件が初めて報じられたのは、県警が公開手配に踏み切る約2か月前のことであった<ref name="中日新聞19991222"/>。
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三重県警は、成人女性が合理的な理由なく突然行方不明になったことから事件性があると判断、1999年9月までに捜査一課や機動捜査隊、鑑識課、機動隊など述べ3000人の捜査員を導入して捜査・捜索活動を行い、約600人に対する聞き込みも行ったが、全く手がかりがつかめなかった<ref name="伊勢新聞19990925"/>。辻出の失踪から10か月が経過した1999年9月24日から、県警は時間の経過とともに事件性を中心とした活動を強化する必要があると判断したことや、家族の要望が強いことなどから情報提供を求める公開手配に踏み切り<ref name="伊勢新聞19990925"/>、それから20年後の[[2019年]](令和元年)までに、捜査には約3万1900人が投入された<ref name="水谷52"/>。情報提供者への謝礼金上限額は300万円に設定され<ref name="水谷52"/>、失踪から25年後の2023年(令和5年)10月までに提供された情報は102件に上るが、有力な手掛かりは得られていない<ref>{{Cite news |title=三重:辻出紀子さん不明25年 伊勢の記者 両親「見つけるのが使命」 当時24歳情報求める |newspaper=読売新聞オンライン |date=2023-11-24 |author=小林加央 |url=https://www.yomiuri.co.jp/local/mie/news/20231124-OYTNT50231/ |access-date=2024-06-19 |publisher=読売新聞中部支社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20240619125313/https://www.yomiuri.co.jp/local/mie/news/20231124-OYTNT50231/ |archive-date=2024年6月19日}}</ref>。2010年以降は、辻出の母校である立命館大の三重県校友会も捜索に協力している<ref>{{Cite news |title=【三重】両親ら「情報提供を」 伊勢市内2カ所でチラシ配る |newspaper=中日新聞 |date=2010-11-24 |author=大槻宮子 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/mie/20101124/CK2010112402000112.html |access-date= |publisher=中日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20101125184907/https://www.chunichi.co.jp/article/mie/20101124/CK2010112402000112.html |archive-date=2010年11月25日}}</ref>。 |
三重県警は、成人女性が合理的な理由なく突然行方不明になったことから事件性があると判断、1999年9月までに捜査一課や機動捜査隊、鑑識課、機動隊など述べ3000人の捜査員を導入して捜査・捜索活動を行い、約600人に対する聞き込みも行ったが、全く手がかりがつかめなかった<ref name="伊勢新聞19990925"/>。辻出の失踪から10か月が経過した1999年9月24日から、県警は時間の経過とともに事件性を中心とした活動を強化する必要があると判断したことや、家族の要望が強いことなどから情報提供を求める公開手配に踏み切り<ref name="伊勢新聞19990925"/>、それから20年後の[[2019年]](令和元年)までに、捜査には約3万1900人が投入された<ref name="水谷52"/>。情報提供者への謝礼金上限額は300万円に設定され<ref name="水谷52"/>、失踪から25年後の2023年(令和5年)10月までに提供された情報は102件に上るが、有力な手掛かりは得られていない<ref>{{Cite news |title=三重:辻出紀子さん不明25年 伊勢の記者 両親「見つけるのが使命」 当時24歳情報求める |newspaper=読売新聞オンライン |date=2023-11-24 |author=小林加央 |url=https://www.yomiuri.co.jp/local/mie/news/20231124-OYTNT50231/ |access-date=2024-06-19 |publisher=読売新聞中部支社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20240619125313/https://www.yomiuri.co.jp/local/mie/news/20231124-OYTNT50231/ |archive-date=2024年6月19日}}</ref>。2007年(平成19年)11月24日からは両親や辻出の友人らが結成した捜索団体が、懸賞金300万円を用意して情報提供を求めるようになり、その際に山中で重機を使って不審な作業をしている人物がいたとの情報が提供されたことを受け、2010年(平成22年)2月には三重県警捜査一課が[[尾鷲市]]の山中で、辻出が行方不明になって以来初とされる3日間の大規模な捜索を行い、重機で地面を掘り返すなどしたが、手掛かりは発見できなかった<ref>『[[産経新聞]]』2011年12月10日大阪夕刊総合1面1頁「【関西「未解決」の現場で】(3) わからないのが一番悲しい」([[産経新聞大阪本社]])</ref>。同年以降は、辻出の母校である立命館大の三重県校友会も捜索に協力している<ref>{{Cite news |title=【三重】両親ら「情報提供を」 伊勢市内2カ所でチラシ配る |newspaper=中日新聞 |date=2010-11-24 |author=大槻宮子 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/mie/20101124/CK2010112402000112.html |access-date= |publisher=中日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20101125184907/https://www.chunichi.co.jp/article/mie/20101124/CK2010112402000112.html |archive-date=2010年11月25日}}</ref>。 |
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事件以来、辻出の両親は毎年11月24日に情報提供を求めるビラを配り続け、警察に重機で怪しい場所を掘り起こしてもらったこともあった<ref name="水谷53"/>。[[四国八十八箇所]]もすべて巡り、テレビ番組の[[超能力捜査官]]や[[ダウジング]]専門家にまで頼ったが、何ら成果は得られなかった<ref name="水谷53"/>。辻出の両親は失踪から10年となる2008年(平成20年)時点で、娘が殺害された可能性も考えて[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]の[[公訴時効]](当時は発生から15年)を気にかけ、「この4年ぐらいが勝負」と述べていた{{Efn2|仮に辻出が行方不明になった際に事件に巻き込まれていた場合、殺人罪は15年後の2013年(平成25年)で公訴時効が成立することとなっていたが<ref name="朝日新聞20081120"/>、2010年(平成22年)4月の[[刑事訴訟法]]改正により、殺人罪など[[法定刑]]が[[日本における死刑|死刑]]に当たる罪状の公訴時効は廃止されており、その時点で公訴時効が成立していなかった事件、および改正後に発生した事件については公訴時効が成立することはない。一方で行方不明になった際に事件に巻き込まれていたと仮定した場合、[[死体損壊・遺棄罪|死体遺棄罪]]は2008年時点で既に公訴時効が成立している<ref name="朝日新聞20081120">『[[朝日新聞]]』2008年11月20日名古屋朝刊第二社会面30頁「娘よ、今どこに 伊勢の雑誌記者・辻出紀子さん行方不明10年【名古屋】」([[朝日新聞名古屋本社]] 多田晃子)</ref>。}}<ref>{{Cite news |title=忘れない:笑顔かすむファインダー 難民支援の夢半ば/三重女性記者不明 |newspaper=毎日新聞 |date=2009-01-24 |author=岡大介 |url=http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/news/20090124org00m040003000c.html |publisher=毎日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20090129071619/http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/news/20090124org00m040003000c.html |archive-date=2009年1月29日}}</ref>。彼らは2019年時点で娘の生存をほぼ諦めているが、それでもなお情報提供を呼び掛け続けている<ref name="水谷52"/>。 |
事件以来、辻出の両親は毎年11月24日に情報提供を求めるビラを配り続け、警察に重機で怪しい場所を掘り起こしてもらったこともあった<ref name="水谷53"/>。[[四国八十八箇所]]もすべて巡り、テレビ番組の[[超能力捜査官]]や[[ダウジング]]専門家にまで頼ったが、何ら成果は得られなかった<ref name="水谷53"/>。辻出の両親は失踪から10年となる2008年(平成20年)時点で、娘が殺害された可能性も考えて[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]の[[公訴時効]](当時は発生から15年)を気にかけ、「この4年ぐらいが勝負」と述べていた{{Efn2|仮に辻出が行方不明になった際に事件に巻き込まれていた場合、殺人罪は15年後の2013年(平成25年)で公訴時効が成立することとなっていたが<ref name="朝日新聞20081120"/>、2010年(平成22年)4月の[[刑事訴訟法]]改正により、殺人罪など[[法定刑]]が[[日本における死刑|死刑]]に当たる罪状の公訴時効は廃止されており、その時点で公訴時効が成立していなかった事件、および改正後に発生した事件については公訴時効が成立することはない。一方で行方不明になった際に事件に巻き込まれていたと仮定した場合、[[死体損壊・遺棄罪|死体遺棄罪]]は2008年時点で既に公訴時効が成立している<ref name="朝日新聞20081120">『[[朝日新聞]]』2008年11月20日名古屋朝刊第二社会面30頁「娘よ、今どこに 伊勢の雑誌記者・辻出紀子さん行方不明10年【名古屋】」([[朝日新聞名古屋本社]] 多田晃子)</ref>。}}<ref>{{Cite news |title=忘れない:笑顔かすむファインダー 難民支援の夢半ば/三重女性記者不明 |newspaper=毎日新聞 |date=2009-01-24 |author=岡大介 |url=http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/news/20090124org00m040003000c.html |publisher=毎日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20090129071619/http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/news/20090124org00m040003000c.html |archive-date=2009年1月29日}}</ref>。彼らは2019年時点で娘の生存をほぼ諦めているが、それでもなお情報提供を呼び掛け続けている<ref name="水谷52"/>。 |
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失踪事件発生から10年後の[[2008年]](平成20年)9月、『[[産経新聞]]』は「[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]事情に詳しい中朝関係筋から」の情報として、「{{Interp|日本側は|和文=1}}辻出さんの『つ』の字も出さなかったのに、先方から辻出さんの名前をフルネームで言った」と報じた<ref>『[[産経新聞]]』2008年9月8日東京朝刊総合一面「10年不明の辻出さん 北、新たな拉致疑惑 政府に情報、再捜査へ」([[産経新聞東京本社]])</ref><ref name="上">{{Cite web|和書|title= 辻出紀子さん失踪を「よど号グループ」に質した(上)|author= [[伊藤孝司]]|date= 2015-01-10|accessdate= 2020-02-17|url= http://kodawarijournalist.blog.fc2.com/blog-entry-25.html|publisher= 平壌日記 {{lang|en|PYONGYANG DIARY}} フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報}}</ref>。[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]を調査している日本の大学教員が、辻出を知っている[[脱北者]]と[[大韓民国|韓国]]で出会った、とも報じられた<ref name="水谷53"/>。 |
失踪事件発生から10年後の[[2008年]](平成20年)9月、『[[産経新聞]]』は「[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]事情に詳しい中朝関係筋から」の情報として、「{{Interp|日本側は|和文=1}}辻出さんの『つ』の字も出さなかったのに、先方から辻出さんの名前をフルネームで言った」と報じた<ref>『[[産経新聞]]』2008年9月8日東京朝刊総合一面「10年不明の辻出さん 北、新たな拉致疑惑 政府に情報、再捜査へ」([[産経新聞東京本社]])</ref><ref name="上">{{Cite web|和書|title= 辻出紀子さん失踪を「よど号グループ」に質した(上)|author= [[伊藤孝司]]|date= 2015-01-10|accessdate= 2020-02-17|url= http://kodawarijournalist.blog.fc2.com/blog-entry-25.html|publisher= 平壌日記 {{lang|en|PYONGYANG DIARY}} フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報}}</ref>。[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]を調査している日本の大学教員が、辻出を知っている[[脱北者]]と[[大韓民国|韓国]]で出会った、とも報じられた<ref name="水谷53"/>。 |
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[[特定失踪者問題調査会]]はこの報道当日、辻出の両親とともに記者会見を行い、辻出 |
[[特定失踪者問題調査会]]はこの報道当日、辻出の両親とともに記者会見を行い<ref>﹃産経新聞﹄2008年9月9日大阪朝刊第二社会面﹁﹁事件と両面で調査を﹂ 辻出さん拉致情報 両親会見、複雑な心境﹂︵産経新聞大阪本社︶</ref>、辻出を同調査会の﹁不明者公開リスト﹂に追加している<ref>﹃読売新聞﹄2008年9月9日大阪朝刊第三社会面33頁﹁不明記者を調査へ 公開リストに記載/特定失踪者調査会﹂︵読売新聞大阪本社︶</ref>。また同調査会の一関係者は、失踪前の辻出がメーリングリストに﹁北朝鮮に行って[[よど号グループ]]にインタビューしたい﹂と書き込んでいたことを根拠に、﹁辻出が自ら海路で北朝鮮に入り、よど号グループへのインタビューに成功した後で消息を絶った﹂と断言している<ref name="西牟田4">{{cite news|title=︻未解決事件の闇4︼北朝鮮へ自ら渡航説!?失踪した女性編集者の気になる行動|author=西牟田靖|date=2014-9-16|accessdate=2021-7-9|url=https://tablo.jp/archives/1540|newspaper=TABLO}}</ref>。さらに[[2014年]]︵平成26年︶3月には三重県警が辻出家に申し入れたことにより、辻出の名が警察庁による﹁北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者﹂リストに加えられている<ref name="上"/>。
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しかし、辻出が自ら北へ入った根拠とされるメーリングリストには具体的な内容は一切なく<ref name="下"/>、辻出を知る脱北者と会ったと主張していた大学教員も、数年後には「人違いだった」と発言を撤回している<ref name="水谷53"/>。また、2014年9月によど号グループのリーダー[[小西隆裕]]に直接インタビューしたジャーナリストの[[伊藤孝司]]によれば、辻出に会ったこともなければ名前も知らない、と小西は驚いたように回答したという<ref name="下">{{Cite web|和書|title= 辻出紀子さん失踪を「よど号グループ」に質した(下)|author= 伊藤孝司|date= 2015-01-17|accessdate= 2020-02-17|url= http://kodawarijournalist.blog.fc2.com/blog-entry-26.html|publisher= 平壌日記 {{lang|en|PYONGYANG DIARY}} フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報}}</ref>。 |
しかし、辻出が自ら北へ入った根拠とされるメーリングリストには具体的な内容は一切なく<ref name="下"/>、辻出を知る脱北者と会ったと主張していた大学教員も、数年後には「人違いだった」と発言を撤回している<ref name="水谷53"/>。また、2014年9月によど号グループのリーダー[[小西隆裕]]に直接インタビューしたジャーナリストの[[伊藤孝司]]によれば、辻出に会ったこともなければ名前も知らない、と小西は驚いたように回答したという<ref name="下">{{Cite web|和書|title= 辻出紀子さん失踪を「よど号グループ」に質した(下)|author= 伊藤孝司|date= 2015-01-17|accessdate= 2020-02-17|url= http://kodawarijournalist.blog.fc2.com/blog-entry-26.html|publisher= 平壌日記 {{lang|en|PYONGYANG DIARY}} フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報}}</ref>。 |
2024年6月22日 (土) 04:54時点における版
伊勢市女性記者行方不明事件 | |
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失踪現場付近の座標(詳細は後述) | |
場所 | 日本: 三重県伊勢市黒瀬町(失踪者の車が発見された現場)[1] |
座標 |
北緯34度29分35秒 東経136度44分17秒 / 北緯34.493012度 東経136.738161度座標: 北緯34度29分35秒 東経136度44分17秒 / 北緯34.493012度 東経136.738161度 |
日付 | 1998年(平成10年)11月24日23時ごろ (UTC+9) |
概要 | 当時24歳の女性雑誌記者・辻出紀子が退勤後に失踪した。辻出の失踪前に接触したと見られる知人男性Xが三重県警察から嫌疑をかけられ、別件逮捕による取り調べもなされたが、証拠不十分で無罪が確定した。 |
行方不明者 | 1人(辻出紀子) |
被害者 | 辻出紀子 |
犯人 | 不明 |
対処 | 三重県警が捜査中(未解決) |
管轄 | 三重県警察(捜査一課・伊勢警察署)[2] |
失踪者
つじで のりこ 辻出 紀子 | |
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生誕 |
1974年11月3日 日本 宮崎県宮崎郡佐土原町(現在の宮崎市) |
失踪 |
1998年11月24日 日本 三重県伊勢市 |
出身校 | 立命館大学法学部 |
職業 | 出版社編集記者 |
活動期間 | 1997-1998 |
時代 | 平成時代 |
雇用者 | 伊勢文化舎 |